2 遥か久遠の昔話

もう、いつからか忘れてしまった。

 少なくとも、ハワイがまだ今よりアメリカにずっと近くて日本からずっと遠かった時代。

 ある日突然、人間は自由になった。

 生き物全てに待ち受けているはずの死から、解放された。

 誰もかれも、よくわからないままに死から逃れた。

 その日から、老人は徐々に若返り、若人は徐々に壮年となった。

 始めは、喜びに満ちていた。

 誰も彼もが死の恐怖から自由になったことを喜んだ。みんな、お祭り騒ぎだった。

 死がなくなることは愛別離苦がなくなることだ。人が、根源の苦しみから解放されるということだ。

 確かに、「死」がなくなったことで多くの人が救われた。

 恐れがない。嘗て宮沢賢治が夢見たイーハトーヴのような、或いはトマス・モアが夢想して皮肉に用いたユートピアのような、そんな楽園がこの地球上にできると皆が思った。

 僕だって、思った。

 だが、現実というのはそんなに都合よくできないものだ。

 数十年過ぎたあたりから、徐々に歯車は狂っていった。

 生きることに飽いた人々が街にあふれた。長く生きることは、予想以上に人々の心を蝕んだのだ。死ぬ権利が語られることになった。

 死にたくても死ねない。初めは、不老不死が生じたとき老年だった人々が死を望みだした。不老不死になったときに若人だった人々は、それを笑った。

 だが、徐々に、若人だった人たちも、老人たちの言っていた意味を理解した。長く生きると、時の流れが速くなる。時間が徐々に早くなっていくことに恐怖を感じていった。

 昨日桜が咲いたと思ったら、もう冬だった。そんなことが、何万回もあった。

 僕が今いるこの星のよく見える街、嘗てはここもそれなりに栄えていた。

 が、今はもう廃墟だ。

 どんどんとみんな退屈になっていって、みんなの一年が速くなって行って、結局のところ、誰も彼もが無気力になっていった。何となしにみんな群れて、人が消えた場所は捨てられる。

 生きることは、存外に疲れるのだと世界中が理解するのに時間はかからなかった。

 一縷の望みを賭け、死にたい人間たちを集めて核を爆発させても、何も批判が来なかった。

 最も、その人たちも結局のところ死ぬことはできなかったけど。

 こうして、今人類は無意味に生きている。無意味に時間を消費して、無意味なままに滅ぶのを待っている。

 でも、滅ばない。



          続く

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