第98話 Side:A
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第98話 Side:A》
山岳地帯でサンズが小冊子を放り投げてから早3日。場所は森の中。メル・ビスケットは小冊子ではなく、木の根元に注目し、食べ物を探していた。
「ひぃ〜ん、何もないよぉ〜・・・」
今朝、空いていた洞穴から目覚めた彼女は、未だ見つけられない小冊子を探す為に飛んでいった方向を何の考えも無しにただただ歩き、彷徨っている状況だった。
(このままじゃ、飢え死にしちゃう・・・)
お腹を撫でながら眉をハの字に曲げる彼女の頭は、今は食べ物をどうするかでいっぱいいっぱいで、とても試練の最中とは思えなかった。少し遠くに見える自分達が登っていた山は、まだ帰ってくるな、と言いたげに圧力を掛ける。溜め息を吐きながらも、まずは生命の維持から、と、そこから更に離れて水場へと足を運ぶ。15分程歩いた先にあったのは小さな川だ。水は綺麗で、もっと行けばソフィアが引率する森林地帯へと入る。メルは小川の水際に腰を下ろし、両手で水を掬う。
「ん、美味しい・・・」
一口含むと、体全体に沁み渡る気がした。もう一度掬い、今度は顔を洗う。
「ぷふぁ」
朝日が木々の間から差し込み、辺りは、まるで森の精霊でも出てきそうな雰囲気が漂う。余りにも幻想的な空気だったが、メルは立ち上がって見回す。
(・・・何か、いる?)
何かの気配を察知したのか、耳を澄ませる。感覚が研ぎ澄まされ、彼女の耳には、普段とは違う音が聞こえていた。体1つでも動かせば布の擦れる音、歩けば足音、そして呼吸音。静かに深呼吸を繰り返すと、今度は鼻がピクッと何かの臭いを嗅ぎ付ける。
(獣臭・・・。絶対何かいる・・・!)
ゴクリと唾を飲み、その臭いがする方へゆっくり振り向き、姿勢を低くする。気配から、そこまで大きくはないと断定はできるものの、草むらに隠れたその正体を確認するまでは動けない。彼女はまるで銅像にでもなったかのようにピタリと止まり、気配の正体との我慢比べが始まる。が、その均衡はすぐに破れる。
グゥ〜・・・・・・
メルの腹の虫が根を上げた。
「・・・あっ」
と同時に、気配の正体はメルから逃げるように草むらの横から飛び出した。それを一目見るや否や彼女は叫んだ。
「子鹿!!!」
今のメルにとっては大事な食糧だ。逃すわけにはいかない、と、力を振り絞って本能で追い掛ける。野生の動物程、生に執着している。子鹿も、捕まらまいと左右に飛び跳ねながら距離を取ろうとし、着地点を予想して彼女が飛び付こうと腕を伸ばそうもんなら、それも辛うじて避けらる。メルは空振り地面は突っ伏した。余り時間を掛けては、彼女自身も体力が尽きて追えなくなってしまう。
(何としても捕まえないと・・・)
立ち上がり、拳を握る。正に飢えた獣のように、殺気とも取れる必死さに、子鹿は警戒したままこちらを見ており、一定の距離を保ったまま、メルがジリジリと詰め寄ろうとすれば子鹿も一歩下がる。生きるか死ぬかの世界で、一瞬の隙は命取りだ。と、彼女は子鹿の目を見つめたまま、ゆっくりと身を屈め、腕をダランと地につけて、再び銅像のように微動だにしなくなった。瞬きすらするのを躊躇する程の緊張感だが、主導権はメルだった。彼女から仕掛けた2度目の我慢比べには水を差すような腹の虫もおらず、風に乗る臭いや、少し遠くになった小川のせせらぎ、右に動こうか左に動こうかといちいち反応する子鹿の毛皮の上からでも見える筋肉の動き、それら全てを、メルの極限状態で研ぎ澄まされた五感が察知する。呼吸をも忘れてしまったのかと思う程に静かな時が流れるが、痺れを先に切らした子鹿が、耳をピクッと動かしたのを見逃さなかった。メルが先程地面に突っ伏した時に握っていた小石を、子鹿の右後方に向かって親指で弾き飛ばす。
ガサッ
子鹿の耳がそちらに向き、視線が一瞬切れたのをきっかけに、メルは音もなく飛び付く。気配も音もなく飛び付く様は、忍者や暗殺者をも連想させる程だ。彼女は右手を開き、地面と挟み込む様に叩きつけながら毛皮に指を食い込ませる。
「・・・はぁ。やった・・・!」
ジタバタと暴れる事もなく、子鹿は確保されてしまった。メルはそこから先程の小川へと戻り、子鹿を捌き始めた。持っていたナイフで器用に内臓を出し、血抜き、皮剥ぎ、部位ごとに仕分け。何から何までがスムーズだ。
「ふぅ・・・」
一息吐くのも束の間。今度は森の中で乾いた枝や葉っぱを拾って一箇所に集め、彼女の手にひらに収まる石を持ち、近くにあった大きな岩に勢いよく打ち付けたり、擦ったりを繰り返す。辺りには鈍い音が響いていたが、次第に洗練された音に変わって行き、石も摩擦で尖っていた部分が平になった。
「よし。じゃあこれを・・・っと」
メルは枝を拾っていた道中で見つけた、先がファサファサした植物を左手に、右手には先程の石。植物を岩の上に置いたと思えば、そのわずか数mm横を勢いよく石で大岩を削り付ける。すると、摩擦で石の中の鉄分が反応し、火花が起こる。何度か繰り返すと横に置いた植物に着火したようで、モクモクと煙を徐々に発していった。
「やった!」
彼女は嬉しそうに一ヶ所に集めた枝の場所にその煙が上がる植物を置き、その上に枝を焚べる。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ!」
すぐさま空気を送ると、焚き火の様にパチパチと音を立てながら火は大きくなっていった。
「はぁ〜、暖かい〜・・・」
と和んでいる場合などではない事をすぐに思い出し、捌いたシカの背肉を小川に浸した枝に刺して焚き火の上で炙り始めた。
「ふふっ、久し振りに捌いたけど、まだ腕が鈍ってなくて良かったぁ」
焼きムラができない様にクルクルと回しながら炙る。ほぼ直火のシカ肉は、次第に綺麗な焼き目が付き、それがほぼ全てに行き渡ったところで一度匂いを確かめる。
「・・・やっぱりちょっと臭みがある・・・?」
野生的な血の匂いは今の彼女にとっては活力の元になること他ならない。本能のままにかぶりつく。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
口の中に広がる野生の味。食感は柔らかく、脂身は少ないがそれはそれで赤身本来の味が楽しめる。涙を流しながら堪能すれば、気が付くともう残りは一口。メルは惜しみながらもパクリと平らげてしまった。
「っはぁ、美味しかったぁ。・・・けど」
小川を見ればまだまだ仕分けた部位が残っている。それらを水に浸した適当な枝に刺し、随時焼き続けた。
「まだまだあるのよねぇ!」
辺りには肉の焼ける良い匂いが立ち込め、涙を流しながらそれを食べる年頃の女性。知らぬ人が見れば思わず足を止めて静観してしまう程に、良い食べっぷりをしていた。肩肉、残っている背肉、モモ肉、バラ肉を一気に焼き一気に食べる。没頭する彼女の邪魔をしてはいけない、と自然も空気を読んでいるのか、この間に何者にも、動物にも襲われる事はなく、メルの食事は終わりを迎えた。
「はぁ〜、お腹いっぱい・・・!ご馳走様でした」
しっかりと手を合わせて骨になった子鹿に感謝を伝える。
「さて、と、探すの再開しますかね・・・、ん?」
立ち上がり、焚き火を崩して小川で消火しようと動こうとしたその時、突風が吹き、その風に乗ってきた物が足に引っかかった。
「あれ?これって・・・」
拾い上げてみる。するとそれはサンズが山頂で破った小冊子の一部だった。中を開くと、魔力コントロールについて記述があったが、彼女はあまり興味を示していなかった。
「本当は『基礎体力トレーニング』か『戦略マニュアル』のどっちかが読みたかったんだけどなぁ・・・」
口を尖らせて不満を漏らす。
「でも、まぁいっか、これ持って戻れば全部トレーニングさせてもらえるんだもんね」
切り替えが早い方のメルだが、先程の五感を極限まで冴え渡らせた感覚がまだ残っているのか、少し震える指先を見つめる。
(魔法が使えなくたって、やる時はやれるんだ・・・!)
己の底力を確認しながら焚き火を消火し、顔を上げる。
「魔力コントロールのトレーニングしたら、魔法が使えるようになったりして?!」
と、彼女はウッキウキにスキップ混じりで山頂を目指した。
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第99話 Side:A》へ続く。
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