第89話 Side:A
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第89話 Side:A》
それは、薄暗く、鉛色の空から降り下ろす雨の中起きた。雨音で足音までは聞き取れないが、叫び声だけがこだましていた。女性の張り裂けそうな声はまるで怒号のように、対岸の崖の大木の陰で雨を凌いでいる、腹に夥(おびただ)しい量の血を付けた女性に向けて飛んでいた。
『お願い、起きて!!!!!』
『ダメ、大声は出さないで。奴らが集まってきちゃう』
『くっ・・・!』
それを止めるのは、エルフの様な白い肌をしており、銀髪で背中まである長い髪の女性だ。
『しかしフローラ副隊長、このままでは彼女が・・・』
若い男の声に、フローラは頷く。
『分かってるわ。今あの子を助ける方法を考えています』
『・・・お願い、起きて、シャウラ・・・』
カペラは神に祈る様に手を組んだ。特徴的な紫色の長髪からは雨が滴り、涙なのか雨なのかが分からなくなっていた。
5日前。アラグリッド王国騎士団の戦力を上げるために、全部隊合同で行う訓練、通称『試練』が始まった。参加者は隊長や副隊長を除いて80名程。思ったより少ないと感じるが、一度は参加を表明した者でも、負傷者や非戦闘員、年齢的にそぐわない者を数え、騎士団側から辞退を命じられている。しかしそれでは納得いかない者もいたが、遊撃部隊長のリゲル・サンドウィッチが怪我のリハビリに、と希望者には直接指導に当たっている。そして約80名を前半後半と半分に分け、5班になったところで各班の頭に隊長や副隊長が就いている状態である。
コウキの同期達は一括りにされ、アイザック、カペラ、シャウラ、アルタイル、シャーク、ルナールに加えて、彼らの2期先輩である突撃部隊のジェスト・ランプ。彼はオリーブ色の髪をし、八重歯が特徴的な憎めない性格をした青年だ。そしてその班を纏めるのは、防衛部隊副隊長のフローラ・ブルドッグだった。消毒や包帯、その他諸々の必要最低限の荷物を持ち、彼らは『ヘラクレス山脈』の、とある分岐点にまで来ていた。
「さぁ、私たちが行くのは湿地帯です。気を引き締めましょう」
フローラは士気を高めんと鼓舞しながら歩みを進める。『ヘラクレス山脈』は、森林地帯、火山洞窟地帯、山岳地帯、荒廃地帯、寒冷地帯、湿地帯の6つの気候が入り混じる特殊な地域だ。その中でも湿地帯は、森林地帯に次ぐ、安全、とまでは言い難いが、比較的素人が誤って足を踏み入れても生還できる確率が高い場所である。だが、そこにも大型の魔獣が棲み着いており、群れを成し、縄張りに入ろうもんなら襲いかかってくる。
「フローラ副隊長、湿地帯にはどんな魔獣が棲んでるんですか?」
アイザックは先頭を行く彼女の背中に問い掛ける。
「ここには、通称『悪魔の鳥・ステュムパーリー』の群れがいますわ」
「・・・ステュムパーリー・・・」
シャウラが呟くと、ジェストが彼女の肩に手を置いた。
「何か、楽しい事が起きそうじゃない?」
「・・・え?」
「だって『パーリー』だよ?みんなでご飯食べてさ、陽気な音楽で踊ってさ、楽しい一時が過ごせそうじゃない?」
キラリとムカつく程に八重歯が光ったように見えるほどの笑顔は、周りの緊張の糸をブチブチと切っていった。まるでそこには和やかなBGMが流れていそうな空気に、思わずアイザックやアルタイルから笑みが溢れる。
「ジェスト先輩、こんな時に気楽っすね」
「当たり前だ!これでも同期随一の《水》の放出系の魔法使いだぜ?・・・まぁ、俺ともう1人の2人しかいねぇけどさ」
と、ジェストは言ってる自分が情けなく思えてきたのか肩を落とす。
「気を楽にするのは、間違った事じゃないですが、集中は途切れさせない様にね。湿地帯に入れば、奴らの縄張りはすぐそこですよ」
『はい!』
段々とぬかるみが混じった地面になっていき、空気も心なしか肌に纏わりつくような湿気を帯び始めた。もう湿地帯はすぐそこだが、シャークが小刻みに体を震わせた。
「うおっ・・・」
「どうしました?」
「すいません、フローラ副隊長。トイレに・・・」
テヘヘ、と笑うシャークに笑顔で溜め息を吐くフローラに一同は和んだ。
「仕方ありません、あまり離れ過ぎない程度に行ってきてください」
そしてスタコラと走って行くシャークの背中を見送ると、フローラは思い出したように口を開く。
「そういえば、ステュムパーリーの前情報として知っておいて欲しいことが何点かあります。後でシャークには私から説明しますね」
と、彼女は懐からメモ用紙を取り出した。四つ折りにされた紙がガサガサと小気味いい音を立てて開かれる。中には、『ヘラクレス山脈』に棲まう魔獣たちの情報がいくつも書かれているのか、フローラは目と指で追いながら、お目当ての項目を探す。
「えーと・・・。『ステュムパーリー』。赤色のトサカと、金属の翼を持つ、常に2羽以上の群れで行動する中型の鳥型魔獣。奴らの排泄する糞の臭いには幻惑効果があり、特徴はとにかく甘い臭い。長く吸ってしまうと幻覚、幻聴などがあり、それにより弱った獲物を捕食する」
「き、聞いてるだけで恐ろしいんですけど・・・」
カペラは顔を引き攣らせる。
「まぁ、この湿地での甘い臭いは奴らの糞しかありえませんので、少しでも異変を感じたら鼻を塞いでくださいね」
にこやかな笑顔は、ステュムパーリーの恐ろしさを倍増させる。聞くだけでもその魔獣が今まで戦った事のない部類であるのは理解できる。そしてそれが群れを成しているということと、いつ襲ってくるかも分からない状況に、ジェストを始め、アイザックたちは身を強張らせる。しかしそんな中、いつもの雰囲気を崩さずに彼らを纏めるフローラに、アイザック達は副隊長たる所以(ゆえん)を垣間見た。
『お〜い!』
「・・・ん?」
少し遠くから聞こえるシャークの声に、アルタイルは反応した。
「やっと戻ってきた?・・・ん?」
アルタイルの反応を見てカペラも振り返るが、やはり同じ反応をしている。シャークはフラフラとした足取りでこちらに向かって来ており、どこか様子がおかしい。と、次第に漂ってくる甘い臭い。
「みんな鼻塞いで!」
フローラの言葉に即座に鼻を塞ぐ一同。
「あれぇ?どうしたの、みんな、そんな踊り子みたいな格好して!あ、アルタイル!お前ベガちゃんも連れてきてるじゃねぇか!隅に置けないなコンチクショー!グホァッ!!」
フローラは勢いよくシャークに向けてドロップキックを放つ。吹き飛んだ彼が行く先は、綺麗とは言い難い水溜まりのような池だった。
「っぷふぁ!!・・・あれ?俺、一体何を?」
「臭いが一度でも途切れれば、幻惑は解けます。みなさん、よく覚えておきましょう。でも変ですね・・・。奴らは縄張り意識が強すぎる余り、縄張りの外には滅多に出ないんですけど・・・」
まるで教師かの如く淡々と説明するフローラにツッコミを入れたくなったのは言うまでもない。だが、もうステュムパーリーの縄張りに近いとはいえ、こんなにも早く洗礼を受けた事に、フローラは疑問に思っていたようだった。
「早めにキャンプ地を決めましょう。確かめたい事があります」
と言って、シャークが来た方とは反対方向に歩き出した。
道は次第にぬかるみが強くなり、普通に歩くのが困難になってきている。周りの木々も腐食によるものなのか葉がなっておらず、幹すら今にも崩れそうな程だった。
「ここを、キャンプ地としましょう」
一同の前にあるのは、側に、先程シャークが落とされたところよりも心なしか綺麗な池があり、中が肉眼では最奥まで確認できない程の洞窟。少しヒンヤリとしており、天井からピチョン、ピチョン、と、どこからかの雫が岩肌に落ちる音が聞こえている。
「まぁ、覚悟はしてましたけど、やっぱり野営、しかもテントとかもないんですよね」
アイザックはヒョイ、と中を覗く。吸い込まれそうな漆黒に身震いをすると、ジェストが彼の肩に手を置く。
「まだ始まったばかりだ、気長に楽しもうぜ!」
親指をグッと立てる彼はズンズンと中に進んで行ってしまった。暗闇で背中が見えなくなると、奥から声が聞こえた。
『結構奥まで行けるぞー!』
先は思いやられるが、過酷という言葉がよく似合う『試練』は彼らの体力を、精神力を、魔力を、大きく成長させることになる。
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第90話 Side:A》へ続く。
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