第86話 Side:A
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第86話 Side:A》
アラグリッド王国の動きがジュラス王国に筒抜けになっていたのが、遊撃部隊スケジュール係のエヴァ・グラタンの裏切りだとアリスの口から告げられてから数分。先程まで温かかったミネストローネもほぼ冷め、グランツ城の料理長であるマルナが続々と料理を運んで来る中、各隊長とアリスは沈黙を続けたままだった。何事かとマルナも心配そうに見守ってはいるが、いつもの『母ちゃん魂』の様な元気さはなかった。
「・・・こういう場合、騎士団としてはどういった対処になるんでしょうか・・・?」
恐る恐る口を開くアリス。背中は丸み、ピンと張った緊張の糸の上を綱渡りしている様な気分だった。
「一応、機密漏洩(きみつろうえい)に当たるから、除隊、国外追放、最悪の場合は処刑されるだろうね」
シリウスは淡々と口を開く。それを聞いてアリスは一層シュンと小さくなり、目は伏しがちに落ちた。そんな彼女を見てか、プロキオンはこんな時でも豪快に笑う。
「ガッハッハッ!!しかし、してやられたなぁ、えぇ?リゲルよ!」
隣に座るリゲルの頭を、彼が怪我で満足に動けないのをいい事にワシワシと撫でる。しかしそれが場の空気を好転させた。リゲルは鼻から思いっきり息を吸い、思いっきり鼻から吐く。大人とほぼ同じ程の肺活量で約10秒の長い溜め息。彼は口を重く開いた。
「重要なのは、どうしてそんな行動をエヴァがしたか、って事なんだけど」
その言葉に、ソフィアとシリウスは腕を組む。
「考えられるのは、アラグリッド王国に不満があり、それに漬け込まれてジュラスに情報を流して戦争を企てたか・・・」
「あんな可愛い娘がそんな事思うかね?俺はジュラスに脅されて仕方なくやったと思うね」
真面目なソフィアに対して、少し抜けた様なシリウス。たまに的を得ている事を言う彼の言葉は、こういう時だからこそ些(いささ)か信憑性がある。そこから、あーだこーだと議論をする隊長たちに、アリスはどこか安心感を覚えていた。先程の張り詰めた空気は緩み、そこにはいつもの顔の、厳格だが優しい隊長たちのがいた。
「まぁ、エヴァ・グラタンの処遇は後で決めるとして。アリス。コウキは3ヶ月後と指定したんだよな?」
「はい」
シリウスは話を戻す。指を組み、机に肘を突き、一呼吸置いた後再び口を開く。
「やっぱ、戦力の底上げ、しといた方が良さそうだね」
目配せでプロキオン、リゲル、そしてソフィアの順に視線を送ると、それぞれが頷いた。これから何が発言されるのか、アリスには分からなかったが、各隊長が不敵な笑みを浮かべているところに関しては、鳥肌が立っていた。
「あ、あの・・・、これから何が始まるんですか・・・?」
安心感は覚えど、再び別の不安に駆られるアリス。目を光らせて笑う隊長たちには、頼もしさに恐ろしさが加わり、身震いをせざるを得なかった。
「そうだな。まず手始めに、合同訓練と行こう。コウキが3ヶ月と言ったのであれば、こちらもその期間、目一杯使わせてもらおう」
ソフィアは早速、書類を作成しようと立ち上がる。
「うん、俺もソフィア嬢の案に賛成だ」
シリウスも気持ち悪いぐらい綺麗な笑顔で、そう言いながらその場から去る。
「痛たた・・・。僕は怪我治すのに専念させてもらうよ」
リゲルは松葉杖を突きながらゆっくりと立ち上がる。ヒョコヒョコと歩く背中を見送ると、プロキオンは腕を組んだまま目を閉じていた。
「・・・う〜む・・・・・・」
何やら考え事のようだが、地蔵の様に動かずにただ目を瞑る彼に、とてもじゃないが軽く話しかけれないオーラがあった。そこから、時計の針の音が強調して聞こえ、アリスもその場から動けずに数分が経過した。が、沈黙は破れた。
「がぁーーー!!!」
「!!?」
突然のプロキオンの奇声に驚いたアリス。目を丸くし、冷や汗が少し額に滲む中椅子から転げ落ちた。
「ど、どうしたんですかいきなり・・・!?」
椅子を支えに立ち上がる彼女に、プロキオンは先程とは違った、清々しい顔でアリスの方を向いた。
「お前、確か陽動部隊だったろう?」
「は、はい」
「ニコラスは良い上官だったか?」
「え・・・?あ、はい、新人の頃から、実の父親の様に優しく、時に厳しく指導してくださいました・・・」
それを聞いたプロキオン。安心したように微笑むと立ち上がり、アリスの頭を撫でた。
「アイツは、良くできた友でもあり、良くできた上官でもあったわけだな」
ワシワシと撫でられ、首が取れる勢いだった。何か照れ隠しの様にも見えたその行為を、アリスは無言で受け入れる。
「じゃあ、儂も行くとする。まだまだ、街の復興が済んでないからな」
「・・・はい」
見送った背中は逞(たくま)しかった。アリスも自分のやるべき事をする為、目の前にある食事に手を付ける。冷めたミネストローネ、冷めた豚肉と野菜の甘辛炒め、冷めたリゾット。全てが最高に美味しい状態では無いが、それでも今の彼女にとってはとても温かみのある料理だった。
「・・・美味しい」
成長期の体に沁み渡る。
(私のやるべき事・・・)
アリスは、フォークで甘辛く味つけされた豚肉と野菜を刺し、口へ運びながらふと考える。思い返してみれば、騎士団に入ってからは任務や訓練で、自分の意思で何かを行った事がない。10歳では当たり前は当たり前なのだが、アリスは謂(い)わゆる『普通』の女の子ではなかったからだ。魔力は流れているが、扱える魔法は《火》の古代魔法【ダンデライオン】。それ以外は使った事がなく、扱えるのすら分からない。
(新しい魔法を覚える・・・?違うわ)
己の非力さを嘆く時もあった。
(体を鍛える・・・?違う・・・)
今までの自分では、絶対にしてこなかった事、それが彼女にとっては必要な事だというのは、頭でも分かってはいるし、肌でも感じている。アリスは右手を見つめる。自分で思うのも何だが、小さい。それはまだまだ子供だという証拠であり、握る力も弱い。そして気付く。
(そうだ、私自身が変わるという『意思』。今足りないモノはそれ・・・)
積極的に戦闘訓練に参加したり、魔獣討伐の任務に赴いたりなどはしてきた、が、それは周りに行く者がおらず、自然と自分に回ってきただけの事。遠征隊を編成された時も、陽動部隊の隊長からの指名で入っただけの事だ。そこでのナイトウルフとの戦いや、イヌア村の人との関わりや黒龍エテレインとの出会い。それら全てが彼女の力の糧であり、何よりも経験値として脳裏に張り付いている。
(よし、やろう。自分の出来る事を片っ端から・・・。そして、コウキを助ける力になる)
固く決意をし、お嬢様の様な風貌からは想像もできない程の豪快さでリゾットを平げ、アリスは部屋から出て行った。気持ちを入れ替えてからの景色は、いつもと違っていた。今まで以上にカラフルに見え、明るく、何よりも全てが自分にとってプラスになるような気がしていた。
「まずは街の復興・・・、そして自分の強化、それと・・・」
前を見ずに走りながら指折り数えるアリスは、自分の前に誰かが居る事に気付かずにその背中にぶつかった。
「あ痛・・・!すみません、前を見てなくて・・・、って、あれ!?」
アリスがぶつかったのは、コウキとこちらの世界にやってきた泉サヤカだった。彼女は銀トレーに何やら軽食らしき物を乗せてどこかに行く途中だったようだ。
「あ、アリスさん。こんにちは」
サヤカは軽く会釈をする。
「えと、確かサヤカさん、でしたっけ・・・?どこかにお届け物ですか?」
「えぇ、リゲルさんに。あの人が私が作ったコレを食べてから、大好物になったみたいで」
トレーの上には、白い三角形の薄いパンに、みずみずしい野菜や、加工肉が挟まっている物だった。
「そうなんですね。何て言う食べ物なんですか?」
「サンドウィッチです。片腕を怪我してるらしいので、ちょうど良いかと思って」
ウキウキで話すサヤカとは裏腹に、アリスはこんな事を思っていた。
(サンドウィッチ・・・。隊長のフルネームも、リゲル・『サンドウィッチ』・・・)
奇妙な一致に笑いながらも、アリスはサヤカと別れて街へと向かった。
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第87話 Side:A》へ続く。
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