第58話

《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第58話》


その夜。俺は陽が沈むまで訓練で時間を潰し、体を酷使し、疲れさせていた。そして今、王国内に造られたという風呂場の脱衣所からの景色を眺めるている。

風呂というのが命の洗濯だというのは、あながち言い過ぎではない。身体の疲れを癒やし、心にも沁み渡る。こちらの世界に飛ばされてからは幾分か時間が経過したが、今まではあってもシャワー。体の汚れを落とす程度で娯楽性は皆無、ゆっくり腰を据えて落ち着く場としての存在はまるでなかった。がしかし、今俺はゆっくりと、訓練や任務で疲弊している身体と心をリセットさせてようとしている。しかもこれは、俺の予想を遥かに超えた居心地の良さになるだろう。岩で湯船や壁が作られ、囲いは竹のような植物が3〜4mの高さで密集させ、常に白濁としたお湯が掛け流しになっている、謂わば『露天風呂』の仕様になっているからだ。広さも、湯船だけでテニスコート2面分程あり、体を洗う所は3〜40名分のスペースがある。


「全く、驚かされるなぁ・・・」


俺が驚いた点は主に3つある。1つはいくらフランス人と日本人のハーフだとしても、ここまでの日本の露天風呂を再現してしまう想像力。2つ目はそれを完成させてしまう実行力。そして3つ目は、風呂の文化がないこの世界の一国の城の中にこれほどまでの物を造ることを容認させてしまう説得力だ。


俺たちの世界じゃ普通だったけど、こっちの世界じゃ得体の知れない物、だからなぁ・・・。


初めてミヤビの所へ案内してくれた日の帰りに、俺がボソッと風呂や洗濯などの単語を口にした時に、側にいた陽動部隊・隊長のシリウス・ホーキングも、流石に聞いたことのない単語でこちらに聞き返してきた事を思い出す。


「あの時は風呂に入れるなんて思ってなかったよな〜」


独り言だが、俺は体を綺麗な白い手拭いの様な布で、店で売られているような石鹸を使って泡立てて洗いながら感心していた。今までシャワーを浴びる時は、廃油と、こちらの世界にある薬草から作った石鹸を用いて体や頭を洗っていたが、今使っているのは、明らかに俺たちの世界にあったミルクの様な香りのする石鹸の類似品だ。泡立ちから匂いまで、全てが久し振りだ。そして体と頭を洗い終え、手拭いの様な布を頭の上に畳んで乗せ、ザブザブと存在感が際立つ大きな岩まで行き、湯船に入る。


「あ"あぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」


白濁としたお湯に、一気に疲れが溶けような気がする。俺はゆっくりと肩まで浸かり、その岩に背中を預けて脱力する。そのまま寝てしまいそうな程心地良い風呂の抱擁(ほうよう)を全身で受け、気分は小旅行だ。


「少しは筋肉付いたかな」


日頃の訓練で培った筋力は、嘘を吐かない。こちらに飛ばされてくる前までは、運動能力としては至って平凡。むしろ真ん中より少し後ろの方だった気がするが、今の自分は明らかに体力も付いたし、状況判断能力はずば抜けて成長している。


これも隊長達のおかげだな。


体の傷も増えたが、その分実感がある。現状に満足とまではいかないが、考え方が変わっているのは事実だ。それも良い方に。などと考えていると、脱衣所の辺りが騒がしくなってきているのに気付いた。


『おい、押すなって!』

『早く行ってください』

『どれ、儂(わし)にも早く見せんか』


それは聞き覚えのある3人の男性の声。その姿が現れると、俺は自然と笑みが溢れた。


「お疲れ様です、シリウス隊長、リゲル隊長、プロキオン隊長!」


俺は湯船から立ち上がり挨拶をするが、プロキオンが手で制す。


「ここはそういうのは無しなんだろ。ミヤビの嬢ちゃんが言ってたぜぇ?風呂場に立場を持ち込むのはご法度だ、とな。今の俺たちはただ風呂場に居合わせた同じ職場の人間。上も下もねぇよ」


と彼はその重みのある渋い声で言いながら体を洗い始めるが、慣れない風呂の作法に戸惑いを隠しきれない様だ。リゲルやシリウスも同じ様子で、掛け湯から体を洗う為に木で作られた小さな椅子に腰掛けて石鹸を泡立て始めた。


「おい、こりゃどうなってんだ!泡が止まらねぇぞ!!」


今までの廃油と薬草で作られた石鹸とは泡立ちが比較にならない程で、今回ミヤビが用意した石鹸の泡立ち方は、こちらの世界の人たちには異常な光景なのだろう。見様見真似でリゲルとシリウスも泡立て始めるが、2人とも加減が分からず、やめ時が分からないらしい。


「ある程度で大丈夫ですよー!足りなければ泡をまた立てれば良いんですからー」


俺が湯船から声を投げ掛けると、快活な返事と共に、プロキオンは体をゴシゴシと洗い出した。リゲルとシリウスも泡で頭を洗ったりしている。


楽しそうだな。


俺も物心付いてから入った風呂はこんなにも楽しそうに入っていたのだろうか、と物思いに耽り、長い溜め息が出る。


こんなにゆっくりするのはいつ振りだろうか・・・。


自分が今、王国騎士団に所属している、謂わば軍人の様な立ち位置なのに、これ程まで緊張感が緩んでいるのも中々無かった。自分がこちらに飛ばされた時、ソフィアに助けられなければ、シリウスに王国騎士団に誘われなければ、今のこの瞬間は無かっただろう。


改めて感謝だな。


『あ"ぁ〜〜〜・・・・・・』

『っん・・・・・・熱い』

『うほぉぁ!!こりゃあ良い!!』


シリウス、リゲル、プロキオンが3人とも違うリアクションで湯船に浸かり、風呂という物を堪能していた。リゲルの小さな体はこの熱さが苦手な様で、ちょっと浸かったと思ったら足場の岩の上にちょこんと座っていた。翡翠色の髪が洗った事により濡れて垂れ、前髪が目を隠していた。


「酒でも持ってくれば良かったなぁ!」


中でもプロキオンは気に入ったらしく、すっかり日本のオジサンになっていた。俺も内心ほっこりしていると、シリウスがこちらに寄ってきた。


「ところで、コウキ。例の調査の具合はどうなんだ?帰ってきたって事は、何か進展があったんだろ?」


そうだな・・・。隊長達には話しておいても良い、か。


俺たちが王国を出てからの一連の出来事を、玉座の間でセンウィル国王やカイゼルに報告した通りに話す。最初は我関せずと明後日の方を向いていたリゲルだったが、黒龍の話が出た途端に話に食い付いてきた。プロキオンは終始、そうかそうか、と陽気に笑っていた。


「とまぁ、これが、俺たちが得た情報です」


「・・・てことは、今もこの王国内に黒龍が擬人化した姿でうろついている、というわけか」


そう、なるな・・・。


害意はないだろう。当人も見て回ると言っていたので、余程の事が無い限りは大丈夫だろうが、何か気になる事でもあるのだろうか。シリウスは湯面を見つめていた。


「後この報告をしていない隊長は、ソフィア隊長だけですね」


「私がどうかしたか?」


え?


これまた聞き覚えのある凛とした声の方へ振り向くと、突撃部隊・隊長のソフィア・アラグリッドが、裸体に大きめのタオルを巻いた状態で、大事なところを隠して脱衣所から出た所に立っていた。


ん!?


俺はあまりの出来事に固まってしまっていた。


《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第59話》へ続く。

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