第9話
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第9話》
額に汗が滲む錯覚に陥りながら俺が黙っていると、泉は口を開いた。
「・・・私ね、フランス料理の店を持っていたの。自分で言うのもなんだけど、テレビ番組で紹介されたり、雑誌に載ったりして、順風満帆な滑り出しだった」
そうか、泉さんの名前、どこかで聞いたことあると思ったらテレビだったのか・・・。
俺は一番最初に異世界に飛ばされた時の事を思い出した。彼女を起こして自己紹介をし合った時に感じた違和感はここで解消された。そのまま、泉は続けた。
「でも、そう上手くはいかなかった・・・。寝る間も惜しんでメニューを考え、最初こそ『目新しさ』と『最年少オーナー』という事でお客さんは来たけど、私の未熟さと、スタッフ間の連携が取れていなかったせいでお店は1年も経たずに潰れてしまった。残されたのは借金だけ・・・。途方に暮れた私は、生命保険で借金と払われていなかったスタッフのお給料を何とかしようとしてビルから飛び降りた・・・」
思いもよらなかった理由に、俺は言葉を忘れた。気付いた時には、泉の顔が俯いていた。何故こんな思い出したくもない様な事を俺に話してくれたのか、答えは次の言葉だった。
「だから、私は、決めたの。もうそんな事は繰り返したくない、と」
・・・ん?
「私は、この世界の料理を変える。そしてそれと同時に私の料理の修行の場にする」
「え、ちょっと待って、それって・・・」
俺が止めようにも、泉は止まらなかった。
「まずは手始めに私の料理の知識がどれだけ通用するのか試す」
「いや、泉さん、待って」
「通用するのならこっちで新しいメニューを作って、私自身もマルナさんに肉料理を学ぶ」
「待ってって・・・」
「それで最終的には、こっちでお店を持つのも良いなー・・・」
「泉さん!!!」
俺が急に叫んだ事に彼女は驚いていた。そして少し間を置くと泉の目にうっすらと涙が浮かび、そのまま一筋流れた。
「泉さん・・・・・・」
彼女の心境を理解していれば、こうなる事は想像できたかもしれない。夢が壊れ、身を投げる覚悟を持って投げたが違う世界に降り立ち、アクビがブラックホールの様になってしまった。俺ですら気持ちが追いついていないのに、夢砕かれた精神状態ならば余計に辛かっただろう。
『わ、私、ちゃんと死ねたの・・・?』
あの時の言葉はこういう事だったのか・・・。
俺は再び、最初に異世界に飛ばされた時の記憶が蘇っていた。こういう時、どういう言葉を掛ければ良いかは分からない。彼女の目からは、次第に涙が決壊したダムの様に止めどなく溢れ出た。泉は声なく泣いた。そして気付いたら、俺は彼女の頭を撫でていた。優しく、泉の悲しみを受け止めるように。
「・・・うっ・・・ッ、ひぐっ・・・!」
堪えていた声が漏れる。俺は聞こえないフリをしながらなだめ、落ち着きを取り戻してきた頃には泣き疲れたのか、泉は俺が使っているベッドで寝てしまった。
「うーん、どうしたものか・・・」
このまま俺もベッドで寝てしまったらマズい。いくら異世界といえど、何事もなかったとしても、今後泉とギクシャクするのも嫌だ。
うーん・・・。
1人で悩むこと数分。俺が出した結論はこうだった。
「泉さんが元いた部屋で寝よう」
それが無難だった。ソフィアに言えば部屋を用意してくれるとは思うが、そこまでしてもらう様な事でもない。
起こさないように、彼女が不用意にアクビしない事を祈りながら静かに扉を開けて廊下に出て、一つ隣の部屋の扉を開けた。その瞬間俺が抉り空けてしまった壁と天井の境目の空洞から風が流れ込む。
夜なのに風が柔らかくて、ほのかに暖かい・・・?
これも空気中に含まれている魔素のせいなのか分からないが、俺はいそいそとベッドに潜り込んだ。そこから眠気がやってくるまでにそう時間はかからなかった。
朝。そう理解したのは、俺が抉り空けてしまった壁と天井の境目の空洞から入る太陽光だった。暖かい光が、ゆっくりと俺の目を覚まさせた。
「ん、〜〜〜〜〜〜ぁぁぁ・・・」
大きくノビをし、体を起こす。左を見れば何気ない朝の寝室だが、右を見れば空洞がある不自然な部屋。
今日はどうするんだろうか。
こちらに来てから、とてもじゃないが元いた世界に帰れる期待がまるでない。一先ずはここでの生活を安定させなければいけない。ソフィアに相談すれば一番早いが、とりあえず今日は可能な限り街中を散策できないか。
コンコンッ!
ん?
タイミングよく誰かからのノック。はい、と答える間もなくガチャっと扉は開いた。
「よぉ、起きてるか、コウキ?」
この快活な声は・・・。
姿を現したのはシリウスだった。白いタキシードと甲冑を合わせた様な服の彼は、手に何かを持っている。封書の様な物だった。
「おはようございます、どうしたんですか?」
シリウスはその手に持った物の正体を明かさずにズカズカと入ってきた。
「サヤカにはさっき伝えたが、今日はとある人に会わせたい」
とある人・・・?
「さぁ、早く支度して行こうぜ!」
いそいそと急かすシリウスは、まるで子供の様にはしゃいでいた。
「そんなに楽しみなのか?」
「ん、あぁ、俺の魔法に対する姿勢を変えてくれた人だからな」
ほー、恩師みたいなもんか。
俺には未だに恩師と呼べる人はいない。今後の人生で出会うのだろうか。しかし支度といっても、俺は昨夜はそのまま寝てしまったから服は変えていない。
そろそろ洗濯とか、服装も考えないとな。
少しよれた裾を見やる。俺が着てきた半袖ポロシャツは、まるで意思があるように、俺に洗濯をせがんでいるようにも見えた。
「そういえば、ここのみんなは風呂とか洗濯とかってどうしてるんだ?まさか洗ってないわけないよな?」
俺の質問に、シリウスは頭を傾げた。
「フロ・・・?センタク・・・って何だ?」
おぉっと、これはこれは・・・。
想像はしていたが、まさか本当に無いとは思わなかった。服は魔力で汚れをどうのこうのできるような気がするが、体はどうだ、最低でも濡れた布で拭いている程度なのだろうか?いや、ソフィアのあのツヤのある髪はどう説明付けるのだ、と脳内で1人で会話していると、シリウスが興味津々で割り込んだ。
「で、そのフロ、と、センタク、って何なんだよ?」
「風呂は、暖かいお湯を溜めたところに体を浸けて休めるんだ。疲労回復だとか、後は大勢で入れば会話が自然と弾む気がするな」
シリウスはふむふむ、と頷いていた。
「洗濯は、着ている物を洗うんだ。俺たちが前にいた世界だと、昔はよくデコボコの付いた木の板にゴシゴシと、石鹸と合わせて擦り付けて、川で汚れを落としていたらしい。その後は外に干して、乾いたらまた着る。ってところかな?」
「ほぉ〜・・・」
彼は妙に食い付いていた。
「それ、やってみようぜ!」
「できるのか?」
「あぁ、今日会わせたい人なら、もしかしたら仕組みを理解して、できちまうかもしれない。そういう人なんだ、あの人は」
どういう人かは分からないが、シリウスがそこまで太鼓判を押す人物に興味が湧き、俺たちは部屋を後にした。
《異世界に飛ばされたらクシャミが空気砲になった話 第10話》へ続く。
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