第2話 昇鯉

 わたしは平成十二年十二月二八日、二〇〇〇年、ミレニアムの生まれだ。誕生をあと三日だけ待てば、二十一世紀の元旦が誕生日だったのにと折々に思う。

 ちなみに干支は庚辰かのえたつ・こうしん、今年三十歳になる。

 あくまでわたしなりにだが、勉強して努力して夢みた南舟記念博物館に学芸員の職を得た。

 黙々と裏方を務めるのは性に合っていて、わたしはわたしを再確認できた。


 高校の三年間、芸大受験のための予備校へ通った。

 いまは学校へ通う、という概念が崩れてきている。

 ウェブ学習やフリースクールなどで学ぶ子たちが増えてきている。

 兄の長男は小学二年生になった。

 二〇二〇年に義務教育学習指導要項が変わり、文科省認定を受けた学習組織で、規定の学習単位をとっていくという自由度の大きい方法が認可されたのだ。

 甥っ子は現在、公立小学校に通っているが、兄は様子を見て予備校経営の塾に通わせ単位をとっていく方法にしていこうかと悩んでいる。

 その塾は公立小学校とは理念が違うので、学びの視野が広く自律的で自立的、そして俯瞰的だと感じているようだ。

 高校生になったら、本人次第で高校へ通うか、ウェブ学習にするか塾にするか、留学するかを決めればいいと言っている。

 兄一家の教育資金は果てしなく高騰していきそうだ。

「甥っ子姪っ子への投資は大歓迎だぞ」とまるでこの先わたしが子を持つ気がないようなことまで言うのだ。姪は保育園の年長さんだ。

 けれど、祖父母から両親へ続く思考の中で育ってきたわたしは、フリーな取捨選択へと踏み出す気概はなく、必要も感じなかった。

 両親にとっては経済的にも難しいところだったろう。

 自然に既定ルートを先へ進む道を進んでいた。

 わたしは日本画家を目指す気満々だった。

 だが芸術は天才がいる世界だ。わたしは天才に出会ってしまった。高校二年の秋だった。


昇鯉しょうり

 作、高見塔也。名古屋市立高校文化祭で金賞受賞。

 軸装された「昇鯉」は母校玄関に誇らしく飾られていた。


 一見、墨で描かれた「昇鯉」は、墨の濃淡に岩絵具で色をさしてある。

 岩の茶や灰、滝を隠そうと繁る木々の緑、天空の藍、かすみのうす桃、それらは淡く、ごく淡くほどこされていた。


 鯉が滝壺から滝を昇る。

 滝に打たれながら龍に姿を変えていく。

 滝からかすみに隠れる龍宮へとへ昇っていく。

 龍宮はかすみのなかにあるようで、ないようで……龍宮は描かれていない。わたしはそこに龍宮をみていた。


 滝壺の鯉は尾鰭をはねながら滝にとりつき、瀑布のなかに背鰭や鱗を見せる。

 滝の天辺で大きく口を開き、かすみに隠れたるものを睨む龍となっている。

 かすみのなか、龍宮は描かれていない。たなびき集まる淡い桃色のかすみのなかに龍宮があるのだろうか。


 いや、かすみが美しい天女なのかもしれない。

 鯉が龍になるために滝を昇っているのではなく、天女をもとめて龍になる。

 鯉のままでは天女に手がとどかない。

 鯉は龍にならなければいけない。


 鯉を思えば、切なくなる。かすみにおわす天女はさぞ美しかろう。

 わたしはそこに天女もみた。

 わたしは震えながら観ていた。何度も観に行った。


 高見塔也は美術部に在籍していない。同じクラスではない。こんな生徒がいるなんて知らなかった。

 すごい絵を描く高見塔也ってこがいるんだよ。美術部の天野織羽なら知ってるよね。知ってる?

 そう訊かれたことなどない。そんな話は聞いたことがない。


 ずるい。


 自分の視野の狭さ、嫉妬、落胆、そして言葉にならない闇のようなもやもや。

 わたしは納得できない。納得?……なにを自分に納得させたいのか。

 天才という才能を……なのか? 自分のなかには欠片さえ見つけることができない。

 絶望なんて大袈裟すぎてわたしには無縁だと思っていた。けれどいきなり、マンホールに落ちるように、すっぽりそのなかにはまってしまった。


 わたしの天才くんの話を聞いた同級生栗原美月は、笑い転げた。

「そりゃ、その作品が天野織羽の好みのツボにドンピシャではまっただけのことでしょうヨ。わたしはその『昇鯉』なんて一度も観てないし。てか、観に行く気なしだし」

「三学期には外されちゃってたから、二ヶ月も飾られてなかったんだよね。ある日とつぜん片づけられててさ。でもわたし、もう観なくてもいいんだってほっとしちゃったんだよ。あー、自分が情けない」

「織羽って自虐的だねぇ。精神的マゾヒストだねぇ。

 だから、『昇鯉を片づけないでください』とかなんとか声高に先生に抗議しに行かなかったんだ。

 それにしても高見塔也が織羽のタイプだったとはねぇ。

 アイツ、あんまり学校来ないしね。登校日数ぎりぎりを狙って進級する気ありって感じだね。なんか計算高くて、やなヤツ。気分悪いよ。

 高見くんのおじいさんって日本画家なの、知ってる? きっと色鉛筆やクレヨンを持つより先に筆を持ってたってとこだよ」


 美月は深刻に沈んだわたしを、ニヤニヤしながら粉砕したのだった。

 ここでムキになって全否定すると、美月を楽しませるだけだと思って、鼻先で返事をするだけにした。

 デリケートでセンシティブな話を美月にふったわたしが悪かった。だけどこんな話、美月意外に話せるわけないし。


 確かにわたしにとっての天才、高見塔也は眉目秀麗で眼を奪われるが、同時に近づきたくない違和感を感じてしまう。この「近づきたくない」感覚は、「あっちに行け、そばに来るな。接近禁止」なほど強いのだ。

 なぜだろう。

 わたしが高見くんをつい観察してしまうのは、違和感の正体を掴みたかったのだと思う。

 その違和感をなんとか言葉に尽くそうとしたけれど、うまくいかなかった。

 嫌い、の一言ですんでしまうから。

 そのくせ、嫌いだけではすませられない、気味の悪い暗さがある。

 昏い、闇い、瞑い、冥い、黯い……。


 高見塔也を観察していると、わたしと同じクラスの中原香音を、視線でストーキングしていることに気がついた。じっと見つめている。見つめ続けている。

 中原さんはフィンランドのクォーターで髪は琥珀色、眼の色も緑がかった琥珀色、ほっそりしているがボディラインはゴージャスだ。

 とうぜんファッション系のモデルをしていて、よく学校を休む。女子生徒は中原さんには完敗気分なので、嫉妬の対象にもならない。

 出席日数ギリギリのせいもあって、登校している日は中原さんはほとんど一人でいる。

 声をかけても「はい」「いいえ」ぐらいしか言わないんじゃないかと思えるほど素っ気なく、会話が続かないということもある。


 視線ストーカーのくせに、高見塔也は中原香音に声をかけない。

 よそのクラスでも、どうどうと教室に入ってきて、ツカツカと中原さんの眼の前に立ち、「おはよう」とか「あのさぁ」とか声をかければいいのに、じっとりマーキングするかのように中原さんを見ているだけ。

 ただ眺めているのではなく、ロックオンしているかのように見ている。気持ち悪いし、気味が悪い。中原さんには同情するしかない。

 高見塔也を知らなかったわたしの鈍感ぶりはさておいて、二年生の誰もが気がついている。だからどうするというわけにもいかず、みんなそれとなく気がつかないふりをしていた。

 とくに男子は中原さんを心配していた。眼立たないようにだけれど、こっそりと中原香音護衛隊が何人かいるようだった。

 

 関心は恋のはじまりと美月は茶化すが、どうにも高見くんには恋愛感情を持てなかった。美月はそのあたりをわかっていて、わたしをからかっているのだ。

 でも違和感の在り処そこじゃないような気がしていた。

 わたしの違和感は雲か霧のようで、つかめない。

 観察しているという後ろめたさも相まって、わたしはだんだん高見くんを無視するようになっていった。

「昇鯉」の玄関展示が終わったこともあって、わたしの高見塔也天才説は熱を失った。けれど薄気味悪さはまとわりつき続けた。薄れることなく、いつまでも。

 なんにしろわたしは、高見くんが絵を描いている姿を見たことがない。制服や靴に絵具がついていたり、手や指先、爪の間が絵具で汚れていたりなんていう場面を見ていないのだ。


 なにはともあれ、それで描く情熱が冷えていったことこそ、わたしの才能の在りようなのだとは自覚した。日本画はもう趣味の延長線上でしか描けないだろうと……。

 そしてふつふつと湧き上がってきたのは、芸術への知識、研究、そこから得られる知恵への渇望だった。探訪、発見、発掘という欲も織り交ぜながら。

 日本画専攻を目指していたわたしは、芸術学専攻で豊田芸術大学へ進んだ。   

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