死ぬかと思ったから

 LINEの朝日新聞デジタルを読んでいると、本当に稀だが人助けをしている人のことが書いてあることがある。少なくとも、シチュエーションそのものは共通していて、『周りは誰も声をかけてくれなかった』『自分一人だけだった』『小さい子が一人でいた』というものが大半。

 感謝される程のことじゃないけれど、私も昨日人助けをした(ちなみにこれを書いているのは7月10日)。

 彼氏もとい相方と別れた後のことだった。シャッターが次々と閉まり、人もまばらな新宿駅で私は確かに見つけたのだ。若い女の人と、付き添いだか彼氏だか分からないが、同じくらいの男の人。女の人はぐったりしていた。

 見捨てることは出来なかった。単純な善意だけではないが、私はすぐさま話しかけて、最短ルートで地上に出るための手伝いをした(一応、荷物持ち。体力に余裕が少しだけあったのか、黄色いリュックはそこまで重く感じなかった)。

 外に送り出しても女の人が苦しんでいるのは変わらず、私は男の人に電話をかけるよう言った。しかし、会話の内容から119番ではないようだった。両親か?友達か?分からない。

 それでもわかったのは、道ゆく人に声をかけても中々気づいてくれないし、知らんぷりで通り去っていくことだった。

 女の人は未だに苦しそうにしている。同時に、私は自分の分の飲み物がないことに気づいて、自販機を探して少し右往左往した後に、ファミリーマートに向かった。

 私は少し余裕があったから少し小さめのお茶を、女の人と男の人(彼については転ばぬ先の杖みたいな感じ)には南アルプスの天然水を買っていった。一刻を争う事態だったので交通費(PASMO)から支払い、

私は階段を上り、

「お二人さあん、お水ですよー‼︎」

 遅い筈がなかった。いや、むしろあと少し遅かったら胸糞悪い結末が待っていた可能性すらある。仲間(?)達がいたのだ。

 私は、二人に水を渡し、去ろうとしたが、仲間らしき青年が、

「これ、迷惑かけたから」と千円をくれた。皮肉ではあるが、彼らの思いは(ある意味)本物だったのだ。だから後悔はない。

 女の人は仲間にフタを開けたペットボトルを差し出されて、しっかり飲んでいたので、ソレを見られただけでも良かった。

 電車の中、私はあの選択が正しかったのかと考えていた。日本人だからアレで良かったのか、それとも外国の水がよかったのか。受け付けなかったら、日本人だろうからという思いから南アルプスの天然水にしたのだが。

 あの女の人がどうしたというニュースは聞かないので多分大丈夫なのだろう……。

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