なんだか思わず心を奪われそうになったから

 連日暑く、夏が近づいている……いや、すでにもう夏である。雨の日と晴れの日とで、気温に差があるような日が続き、「梅雨だな」と実感する今日この頃。バイトは未だに決まっていない(この記事を書いている時点で)。

 小さい頃、私はキラキラ光るものが大好きだった。おもちゃの宝石や、おはじきにビー玉といったものは、ボーッとしている時でさえ輝いていたから。ボーっとしていると光の粒が一つ一つ大きく見えて、とても幻想的だった。絵を描いている時でさえそう思えたのだから尚更だ。

 ガラスのおもちゃを見るたびに今でも思い出す。ボーっと見つめていると、遠くから見たクリスマスのイルミネーションみたいに見えるから、読者の皆さんも是非やってみて欲しい。

 何故光るものが大好きだったのかは分からない。カラスみたいだなって、今なら思う。金属製品には目もくれなかったし、今でもアレのどこが綺麗なのか知らない。

 おはじきもビー玉も簡単に手に入る(最悪コンビニとかでも手に入る)が、プラスチックの宝石はゲーセンの景品として見たことがある以外、あまり見たことがない。多分、原理的には部屋の明かりや太陽の光を反射して光っているのだろうが、小さい頃の私はそんなことを知らずにボーっと見つめていた。

 ビー玉は財布には入れられないが、おはじきは入れられる。というか、なぜかコインに似ているからおままごとの時に、お金(小銭)の代わりに使えそうな気がしたのだ。色ごとにいくらを表して使うとか、そういうのも出来そうな気がする。コインやメダルによく似たおもちゃもあるが、そういうのがない時にはいいかもしれない。

 このボーっとした時の景色は、絵に残すことは出来ない。私の今の感性では出来ないと断言できる。それこそ、自分を客観的に見つめて。それでもまだ「描ける」段階に至っただけで、恐らく完全に伝えることは出来ない。小さい頃はこの景色をボーっとしたらすぐに忘れてしまったが、今は少しだけ思い出せる。

 輝きというものが絵に表せたらどんなにいいだろう。眩しさが溢れてくる絵が描けたら。心を奪われた景色でさえ、私は上手く描けない。デジタルなら簡単だけど、アナログだと一生かけても辿り着けないだろう。共感覚でもないと無理だと思う。

 私が輝いているものを好む理由は未だによくわからない。身につけるようなものでもないから、尚更。ただ、今と昔で「好き」の中に込められている思いだけは違う。それだけは確実。

 

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