おっさん・おばさんかく語りき
私が「三丁目の夕日」と出会ったのはまだ小学生くらいのこと。映画がやっていて(堤慎一や堀北真希が出ていた。なんであの人あんなに髪長かったんだろう、と不思議に思いながら見ていたが)、別にそれが原因という訳ではないが、私は昭和レトロというのが好きである(そもそも近代や現代は私の得意分野でもある)。
セーラー服の女の子を見かけると(実地、テレビ問わず)「もどかしい思いをしないのかな」と思う。私はパーカーばかりを着ていたから、後ろに付いているのがフードではなく襟の一部だと知った時、かなりもどかしいと感じるのだ。というか、日頃もどかしい思いをしないだけでも「普通の女子学生とは言わないだろう」と思う。それが当たり前だから分からないのだろうけど。
よく言われるのは「昔の暮らしはとても不便」「今の方が便利だし、幸せ」だということ。その上、今と比べて昔は娯楽も少なかったようだが、私としてはそちらの方が暮らしやすいと思う。必要な情報は最低限で済むし、ルーティンに沿って行動しやすいから。何より昔の方が夢は叶いやすい環境が整っていたようにも思えるし。
本や博物館の中で見た展示品の中だけとはいえ、昔のものは輝いて見えたと感じる。江戸東京博物館や地元の郷土博物館にあるものは特に。何故あんなに美しく見えるのだろうか。
私自身、時代の洪水に流されて行っているようにも思うし、時間の流れは止まらない。止めることができない。昭和の時代に生まれたかったと、何度思ったことだろうか。高度経済成長の時に生まれたかったと(昭和は好きだが、戦争の時代に生まれるのは真っ平ごめんだ)。出来れば東京の神田とかその辺りがいいな。普通の子として生きたい人生だった。
「モーレツオトナ帝国」でも言われていたように、平成や令和にかけて技術が進歩する以上に、人間たちは心の豊かさを失っていったように思う。何より、リアルなネットワークが希薄だと感じられるのは気のせいだろうか。
かといって「昔は良かった」と安易に言うのも考えものではある。自分の周りにある思い出を結局美化しているだけだから。いつだって人間は目の前のことしか見えていない。
成長の歪みを気にしていたら生きていけなかった、けれども楽しく笑い合えた、そんな時代に生まれたかったのは今でも変わらない。憧れのままで終わってしまうからこそ、私は昭和や大正とかのレトロな時代を描こうと思うのだろう。
それがファンタジーになるのだとしても、リアリティを出そうとして。
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