それでも夢は見せて欲しい
(とある理由で手を怪我した状態で書いてます。ご了承くださいませ)
昔からレンタルで映画を見ていた私にとって、映画館は馴染みのないところだった。それでもいとこ達が遊びに来ていた時代はまだ馴染みがあったのだが、時とともに段々行かなくなり、遂には去年すみっコぐらしの映画に行ったのが最後になった。
それ以外にも学校などで映画を見せてもらうことはあって、その中でも一際印象に残ったのが「マリー・アントワネット」だった。
確か高校時代の話で、絢爛豪華なお城の中で暮らしながらも本人の心は満たされず……みたいな内容だったと思う(主人公の日本語吹き替えの声が真4FINALのノゾミさんだったことにはビックリした)。見ているうちに、ほんの少しだけ夢の中にいるかのような感覚と、「自分の家もこんなにお洒落で広ければ」「自分も可愛らしく生まれたかった」という憧れが膨らんでいく(ちなみに、みんなで見ている時「えっ⁈胸ヤバ‼︎」とも聞こえてきたが、あの時代だから仕方ない)
人間関係的には「仕方ない」(政略結婚だから)尽くしで、後ろ指を指されようとも贅沢が出来て、好きなことが好きなだけ出来たという事実は羨ましい。何よりあんな風に生まれてこられたというのも羨ましく思う。
ただ、舞台となるベルサイユ宮殿自体は綺麗どころかとんでもなく汚いと聞かされた時は幻滅した(昔旅行で行った母曰く「空港もごみばっかで汚い」)。ヨーロッパと聞いて連想する綺麗な部分は、汚いものをひた隠しにして出来たものなのだろう……。実際、庶民は窓からウンコ投げ捨ててたらしいし。そういう意味では日本に生まれて良かった。
それでも、ヨーロッパへの憧れ自体は変わらないし揺るがない。あの美しい世界の住人に生まれ変わりたいという想いすらある(仮に転生したらどうなのだろう)。
生まれた時代や身分は違ったとしても、意外とみんな抱く想いは変わらぬまま、これからも生きていくのだろうか。苦しみも嬉しさも、何もかも。違うのは昔があまりにも不自由過ぎたことと、「飢え」を識ることがなかったということ。そして、蔑ろにされてきたものがあまりにも多過ぎたこと(今は寧ろ敏感になり過ぎているとすらいえる)。
今の世界は「温かみを失った」とよく言われるが、敏感になり過ぎたからそうならざるを得なくなったのでは、とも思う。友達がいない人は沢山いるし、私もその一人ではあるが、その分「居心地のいい時代」ではある。
それでも「温かみのある時代」の夢はいつまでも見ていたい、というのが本音である。
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