昔の記憶をなぞるとき

大人というものは何でもできて、自由だと思っていたが、私の場合は違った。小さい頃に作った思い出やトラウマに引っ張られていて、それがどんどん積み重なっていく。世界を沢山知れたのはいいが、同時に自由が無くなっていくのは辛かった。限界を知ったからだろうか。

 だからこそ、私は沢山の思い出を塗りつぶしていく。昔の記憶に引っ張られることがないように。それが間違いだとは思わない。ほんの一時凌ぎだとしても、私には必要なことだから。

 少し前、私達は研修の一環として、地元をPRする動画を制作した。編集ソフトの使い方やらなんやらを教わり、無事動画が出来た……が、実は(企画の段階から)内容自体は昔よく見ていた朝のテレビ番組を意識したものだったということは知られていない(後に「テレビ番組みたい。親しみやすい」とは言われた)。マスコットを用意し、ナレーションもくっつけていたので「子どもにもウケる」(マスコットのデザイン自体は私が担当。役割は昔と変わらない)と言われたこともあった。

 土曜の朝9時前にやっていた、にじいろジーン(……の中のワンコーナー)がその動画の元ネタである。ぬいぐるみのようなマスコットと、ガイドのお姉さんが歩き回って案内するそのコーナーは可愛らしくもお洒落で、「いつかこんなところに行きたい」という気持ちにさせてくれた。未だにその夢は叶っていないが、相方と一緒に叶えるつもりではある。

 私の中のテレビ番組のイメージは、(バラエティに限定すれば)それこそ、家族でケラケラ笑いながら楽しみ、翌日友達と休み時間やなんかにする雑談のタネ。そんな感じだった(多分、教育番組やアニメとかだと細かいとこで話が違ってくるだろうと思ったのでバラエティだけにしました)。それ以外の意味を持たない一方で、それだけの意味を持たせるための努力が必要になってくる(ここら辺もまた昔の記憶をなぞっている。もしかしたら思い出補正がかかっているのか)。私はその為の努力が出来ただろうか。

 今の私はどことなく「ひよる」ことを中途半端に覚えてしまっているように思う。正直に何かを言えるのだが、その実、どこかで何かを隠しているのだ。臆病ゆえに勇気が出せずにいる。

 読者の皆様に一度でいいから聞いてみたいことがある。「親しみやすいデザイン」は悪いことなのだろうか。少なくとも、今の私は微妙に変わりつつあるが「ソレ」しか描けない(描いていて楽というのもある)が、私はカッコいい絵に憧れているのだ。いわば、今の私は「アンリ・ルソー状態」なのである。

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