つい楽しくてやっちゃうこと
昔から私はボタンやレバーを見かけると、押したり引いたり回したりして楽しんできた。蛇口のハンドルだってレトロでデザインがいいものはどこまで回しても楽しいと感じる。あの「キュッキュッ」という音も心地よく聞こえるし、回すという行為があまりにも楽しいのだ。私は大人だが、精神年齢は低い(だからといってアホという訳でもない)。だから、ちびっこが公園の遊具で遊ぶような感覚でボタンを押してきたのだろう。
マンションなどの電気のスイッチや、ポップンの筐体に付いているボタンは押しやすいのもあり、ついつい何度も押してしまう。ガキ使ボタンもあまりに面白いので何度か押したことがあった。壁一面にボタンがついていたなら、そこでも押して遊ぶだろう。それくらいボタンを押すのは楽しいのだ。
逆に、押していて楽しくないボタンというのもある。それは、押した感覚は確かにあるのだが、音が「カチッ」としか聞こえないボタンである。パコパコ押していた方が味があって楽しい。
しかし、最近はボタンもレバーもハンドルも、味気ないように思える。というのも、デザインはいい上に使いやすいのが多い分、音があまり出ないのだ。しかも、公共施設では自動式の蛇口なども多くて、あまりに味気なく感じられる。便利なのはいいが、たまには不便さを楽しむのも大事だと思う。一つひとつのプロセスは確かに面倒くさいが。
何故だか日本では新しくてかっこいいものばかりが好まれ、持て囃される。オートメーション化が徐々に進んでいて、フィクションの中で散々語られてきた「未来都市」へと近づきつつある。一部のファミレスでは食事を運ぶロボット(頭をなでると喜ぶ)が現れたし、ソレ以前にもセルフレジがあったりと人間が働かなくていい環境が徐々に出来上がりつつある。
便利ということはそれだけ何もないに等しいのだ。プロセスが簡略化或いは省略化されているせいで、時間に余裕は出来るが何もすることがない、というパターンもあるだろう。
楽しいことは身近にあることから見出されるが、焦る必要はない。何事にも相性があるからだ(実際、相方と音ゲーは相性が悪かった)。当然身近にあるものなど人それぞれだから、遊べる環境も変わってくるだろう。
逆に、身近にあっても別の方向に向かってしまう場合もある。実際私は幼い頃からゲーム機がある家で育ったが、ゲームは(不器用なこともあり)今でも嫌いだ。音ゲーは本格的に嗜む(ポップンだけでもフルコンボは150回以上)が、取材とストレス解消を兼ねているからという理由があるから続けられてきた。
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