モヤモヤが晴れる先
職場のモニターも、家のテレビもどこもかしこも北京オリンピックの話題で持ちきりになっている。私も、フィギュアスケートのお姉さんやお兄さんが映っているのをついさっき目にしたばかりだ。この調子だと、パラリンピックは行われるだろうか。冬のオリンピックは印象が深くても、パラリンピックの印象は薄い。夏ならまだしも、あまりにも印象が薄くて頭の中からすっぽ抜けているのだった。
この世には、自分との違いを認められない人物が何人もいる。狭い世界で生きた経験しかない、あるいは狭い世界しか知らない人が沢山いる。そういう人は大抵プライドが高いから、出来ない人を見下しがちで、酷い場合には「出来損ない」とまで言い放つ。言うまでもなく、それらは単に自分が気に入らないから故の行動だから出来るのだ。世の中には自分の常識が通用しない人間だっているのだから、そういう人に当たるのはお門違いだろう。
よく周りの人たちからは「出来ることを一つずつ増やして行こう」と言われる。私は出来ることが恐ろしく少ないので、少しずつモヤモヤを晴らす為にもその要求をのんでいる。それでも出来ないと分かると、落ち込んでしまうこともない訳ではない。
どんな人にもいいところはあって、目に見える形でそれが顕在化することもある。私の才能は(持っていようがいまいが)苦しいだけだから、欲しくもなんともなかった。元カレと完全に別れてからも、怒りと憎悪、嫉妬は残っているし、完全には吹っ切れていない。だが、師との出会いで私の才能は昇華されていき、より良い作品が作れるようになった。
出来ることが増えたからといって、より良い人生が送れるのかは分からない。もしかしたらこれ以上は変わらないかもしれないし、さらに進むとも分からない。それでも、出来ることは増やしたいし、新しい場所に飛び込んでみたい。
パラリンピックの選手たちは、たまたま興味があって楽しいと心から思えるものに出会えたのだと思う。そこに障害の程度は関係ない。楽しいと思う気持ちは誰だって一緒だから。横槍を入れてやめさせる方が間違っている。メダルは真剣に楽しんだ先にあるのだから、やはり苦しみではなく、楽しみから楽しいが生まれてくるのだろう。でなければ、人生やってられない(私自身がいつも楽しくなければ我慢出来ないからというのもあるのだが)。
ユニバーサルデザインのモノがある。誰にでも使いやすいように作られたソレは、もしかしたらみんなが楽しむ為にあるのかもしれない、そんな風に思った。
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