隅から隅まで、意外と安心できる話
関西は未知の領域で、私から見たらドラクエ7でダークパレスや謎の異世界を探索するくらいにはわくわくすることである。だから昔祖母に連れて行ってもらった時や、修学旅行で京都に行った時はとても楽しかった。とても風情があって、時には変わった建物があったことをよく覚えている。時雨殿の中に初めて入った時はびっくりした。
京都は趣深い街だと思っていたが、どうやらソレは違うようだった。後輩が秋葉原に遊びに来て、うどん屋さんで奢ってもらった時に、ソレは確信へと変わった。
京都の人たちも我々東京人と同じ生活をしていて、更にはゲーセン通いも当たり前のようにしていた。いじめも起こっていて(後輩曰く、高校の時殴られた)、その様は程度の差こそあれど現代の街で目にする光景そのものだった。私が勝手に勘違いをしていただけだったのだ。
考えてみれば、どの建物も現代のものばかりだし、アパホテルなど立派なユニットバスまで備えている。電話もテレビも(対応しているチャンネル番号自体は地味に違う)使える生活は明らかに「普通」としか言いようがない。なんだ、安心できるじゃないか。ポケモンだってあるし。最悪、ポケモンセンターで無理矢理にでも適当なぬいぐるみを買ってきて、ソレを抱っこして寝ればいい。
私はあまりにも東京という街に住み過ぎて、そこ以外は目に入っていなかったのだ。見える面ばかりを見ていたから、見えない面には気付かずに。
保健体育でだいぶ前(高校の時)に習った、ジョハリの窓という言葉がある。人間には四つの面があると言うのだ。「開けっぴろげにしている面」、「他人には見えているが自分には見えない面」、「そもそも自分にも他人にも見えない面」、「他人には見せない(見せられない)面」である。それ以外にも、理由を聞かなければ分からない箇所があるし、人間とは本当に様々なのだ。
街にもモノにも見えない面は多分あるだろう。治安が悪かった時期や、箱がへこんだだけで安売りしていた商品。いいところというのは当人だけが気づかないもので、なんだか寂しい気もする。
しかし、あんなに山ばかりで京都の人はインターネットの接続などに困らないのだろうか。自転車だけで暮らせるだろうか。ちゃんとした教育は受けられるだろうか。住むとしたら、不安が付き纏うような気がしなくもない。
それでも安心できるのは、当たり前のモノが傍にあることも一因なのだろう。例えばボールペン。ポケモンのぬいぐるみ。インスタント食品。紅茶。全てないと困るから。
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