だからといって楽が出来るわけじゃない

 ここのところ、陣内智則風に「おもんな‼︎」と言いたくなる車窓からの水墨画になりそうな冬景色を我慢しつつ欲しいフィギュアを買いに行き、近くのゲーセンへ足を運んでは音ゲーを300円だけプレイする日々が続いているが、世間ではコロナがかつてない程に蔓延している(最近魔理沙のフィギュアを手に入れて、チルノのパーフェクトさんすう教室をフルコンボした私に、関係あるのか?)。外に出ることもままならず、常にお茶を飲んでいなければ安心できないような、嫌な世の中になったと思う。

 世の中、ファンタジーと思えるようなことがたまにリアルである。それは、信じられないようなことであっても、そこにあったと分かるならば信じなければいけない。

 祖母の家がその代表で、彼女は社長令嬢であったがその下には六人ものきょうだいがいた。その上、親戚の子とはいえ一応は女中までいたのである。曾祖母があまり家事をしなかったのもあり、祖母は女中と共に家事をしていた(女のきょうだいが手伝う時もあった)。

 おまけに、女中も人だから危なっかしい時というのはあり、それを境に元の家に帰されてしまったのだという。それ以降は、祖母が家事を一手に担うことになった(家にいたくないのも分かるような。地味に専門学校に通っているあたり……)。

 それでも当時は女中がいるのは当たり前で、尚且つ(女中がいたという事実のインパクトがデカ過ぎて隠れがちだが)テレビの向こうにいそうな大家族というのも普通だったのだ。「女に教育は要らない」と言われるような時代にもかかわらず、女の子達にも上級学校へ通わせてくれるような(大叔母は大学で音楽を学んだ)裕福な家ではあるが、(何不自由なく育ったとは聞いた)それでも楽な人生を送れる訳ではなく。「今が幸せ」と言えるようになるまで、実に70年以上のブランクがあった(確認できる限り)。

 明らかにファンタジーのような話だ、と思った人もいないわけではないだろうが、これらは全てマジである。今は極めて裕福な家にしか使用人がいないから分からないだけで。家事の殆どを人力に頼らねばならない時代は、こうしなければならないという事実が付き纏っていた。

 現代人に使用人は合わないと思うし、少なくとも私の家には居場所がないだろうと思う。今の家は狭くてパーソナルスペースが最低限しかないし、プライバシーというものに踏み込まれてはたまらない。もしうっかり踏み込まれたら、場合によっては大変なことになってしまうからだ。

 それでも、私は(口伝とはいえ)覚えている。確かにいた、と。

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