エンディングはハッピーかバッドか、それとも中立か

 おとぎ話というのは大体ハッピーエンドで終わり、世間に出回っている物語もなんだかんだでハッピーエンドが多い。楽しい物語を味わいたいのは山々なのだが、悲しい物語も嫌いではない。救いがなくとも、納得できればそれでいいのだ。あの手塚治虫も地味にバッドエンドを描いていたし。

 私が描く物語は、実をいうと単純に割り切れるモノはあまりない。二次創作であってもそれは同じことで、救いがあるかないかは各々で判断することになる(その性質上昼ドラになったことも一度や二度ではない)。悪役であったとしても慈悲を向ける傲慢なヒロインがいたとしても不思議ではないし、全てを憎み、力を渇望したヒーローがいたとしても不思議ではない。その二人以外にも沢山のキャラクター達が登場し、皆どこかが歪んでいる。如何なる人物も片面だけで評価できる者などおらず、皆が皆傷付いて、それでも生きている。

 前の回でも言ったが、私は少年漫画とは本来かなり相性が悪い(デジモンや鬼滅の刃を知っているのはある意味奇跡に近い)。かわいいものとは相性がいいし、媚びたものでない限りは女の人が好むものとも相性はいい。マスコットのような動物とかわいい女の子がいるだけで物語が展開できると、今でも信じている。絵の世界でデザインしやすいのは基本的に女の子とかわいい動物ばかりだからか、男キャラは滅多に出ない(出ない訳ではない)。

 小説を書くとなると、男も女も関係ない。ヒトかそうでないかも関係ない。あるキャラクターの視点から描いた上で、その次は別のキャラクターに視点が移る。そうして描かれた物語が紡ぎ出す終着点は、どちらになるか分からない。もしかしたらどちらでもあるのかもしれない。解釈そのものは、どんな作品においてもその人に委ねる方針をとる。結末がどうなっても。

 例えるならば、最初から行き先が決まっている各駅停車。環状線にはなり得ない。特急や急行にもならない。その終わりは全てを見届け、考え抜いた者でなければ納得しないだろう。そんなエンディングが書きたい。

 こんなふうにつらつら書いてきたが、悲しいことにメガテンに触れてきたことが原因で、私は一方的に考えることが出来なくなってしまった。それはいいことでもあるし、悪いことでもあるのだろう。だからだろうか、私の世界は取り返しがつかない程複雑なプログラムを組まねばならなくなってしまった。沢山の音楽が、退廃的な世界を彩り、皆が平等に闘わねばならない世界を。

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