平均化、並列化

 小さい頃から休みの日は母の田舎に行っていたのだが、最近思うのは「便利になった反面、昔ながらの商店街などが潰れてショッピングセンターなどが出来たので、恐ろしく風情がない」ということ。これは、雑誌の中を見てもそう思う。地元のホームセンターには沢山の品物が並んでいて、便利なものもそうでないものも混ぜこぜになっている。カラフルに見えるその一部を切り取ると、無機質で無彩色な風景が見えてくる。並列化の行き着く先は恐らく味気ないディストピアなのだろう。

 確かに、田舎というのは分かりやすいランドマークがないし、雑草も多いし不便である。車が必要とされ、最寄りの駅まで徒歩一時間ということもザラである(私が住んでいるところは都会寄りで、「普通に暮らす分には」街から出ずとも困らない)。生まれた時から自転車使ってのんびり、というわけにも行かないようだった。しかし、再開発などによって、今まで目を向けられていなかったようなところにも遂にメスが入ることになる。

 地元の、隣町の寂しい駅近くの商店街。あそこで私は一回だけ牛乳を買って飲んだことがある。しかし、そこはあと少ししたらイトーヨーカドーが建つことになるというのだ。確かにパッとしないところだったな、とは思う。駅舎も地味(というか少し前までないに等しかった)で、駐輪場があって小さな店があるだけの場所だった。ある意味、コレは昔の最寄駅にもいえること。

 というのも、今の駅舎になる前は平べったい小さな駅舎だったのである。酒屋さんが近くにあって、小さなスーパーがあったことをよく覚えている。その二つも今はなく、バス停や郵便局が建っている。コマーシャルの撮影にまで使われた八百屋さんは、ビルに変わり、文房具屋さんも別のものになった。家から歩いて三分のセブンイレブンもなくなってしまった。淘汰、流転。悲しいことだが、仕方ないことでもある。

 一方で、かつてユニクロがあった場所にドラッグストアが建ったことで、面倒臭がりな私達は雨の日でも(雨で許容できる時間が五分までである為)一応食料調達が出来るようになったのは、プラスと捉えている。本当の意味で怠け者になれてしまうのが、便利な都会の怖いところでもあるのだ。

 私は今まで沢山のスーパーへ足を運んだが、私の家の近くにあるのがブックオフスーパーバザーやイトーヨーカドーではなくて本当に良かったと思う。というのも、外へ出て行く必要があるから。つまりは怠け者にはなれない。それはどういうことなのか。自分を見失わずに生きられるということでもある。

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