リアリティの話

 「全てを嘘にすると、どこかで必ず物語が破綻する」というのは、私が今でも交流している同人作家の方の言葉だ。実際、全ての物語は大体が嘘で、その中にほんの少しのリアルが入っている。それを使いこなすには知識以外にも、リアルな感想や生の声が必要なのだが、オリジナルを書いている人であっても、沢山の事柄に目を向けるのは容易くない。大体の人は自分の周りだけしか見られないであろうことは明白で、スケールの大きなことを見ようとすると頭がパンクしてしまうのだと私は考えている。

 私は観光事務の仕事に(バイト)携わっているが、色々な人を(直接的、間接的に)見てきた。街を歩いていても、色々な人を見かけるし色々な声が耳に入ってくる。それを作品に生かすかどうかは別問題だが。マクロ視点で見るのは恐ろしく苦手だから、自分の身の回りのことかファンタジーくらいしか書くことはできない。描けるものの幅は狭まるだろうが、その分沢山の想いを閉じ込められる。作文と大して変わらないのかもしれない、けれど思い出すことで蘇るものもある。

 創作を見ていると、アルビノでさえも外見上の特徴としか捉えられておらず、デメリットなどが描かれていない。本来、アルビノは視覚障害などを患うことが多いのだが、それに気づくことのない人のなんと多いことか。その上、アフリカでは差別や偏見に晒され、今も苦しい思いをしている者がいる。儚げで美しいからといって、妄りにアルビノのキャラクターを作らない方がいいのだ(キャラクターの記号としても)。

 まあ、こう書いているのは私自身が物凄く違和感を覚えるのと、変に改変すると歯痒い思いをするからである。視点についても、書きたいこと(描写もそうだし、登場人物の想いなども)を書きたいだけだから、主に一人称にしている。三人称は書けないので少し羨ましい。

 中途半端であることに怒りを抱いているから。そうでなければこんなことは書かない。読者を自分の世界に飲み込めるようにしたいから元カレの小説は今でも許すことはできない。ファンタジーの世界に目くじら立てるな、と言われたらそれまでなのだが。しかし、だからこそ妙なリアリティは必要なのである。

 口では大阪の城も建つ、という諺があるが、小説ならば紙とペンさえ有ればどんな魔法も実現できる、といえるだろう。しかし、物語に深みを、深淵のように読者を吸い込むには、やはりほんの少しのリアルを深く書くのが必要なのだろう。

 我ながらつまらない作品に時間を割いたものだと思うが、同時にその怒りこそが原動力なのだと改めて認識した。

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