虚し過ぎて冬
私には一生無縁かもしれないが、「庶民の憧れ」というものはこの世に確実にある。それはブランドものだったり、タワーマンションだったり。私自身にも憧れているものは確かにあるが、それはどんなに小さなものであっても手に入れた途端に、心の中の何かが消え失せ、虚しさだけが残る。かといってずっと憧れのままにしておいたら、今度は一気に歯止めが効かなくなってしまうから調節が難しい。憧れは憧れのままにしておいた方が良いかもしれない、と高校生の頃に思ったが、それが難しいことにも気づいていた。簡単に我慢が出来るなら、もうなっている。私は人一倍我慢出来ない性格もあり、引きこもりは無理だろうとも思っている。
そんな「憧れ」の対象だが、一度でいいから私もマンションに暮らしてみたい。そう思ったことが確かにあったが、実はマンションに住むとタワマンであれ普通のであれ、デメリットがまとわりつくようだった。というのも、まず騒げない(集合住宅に共通する特徴)。私は声が大きく、何かとギャーギャー騒ぐタイプだから、一人暮らしならまだしも結婚したら、恐らく直ぐに追い出されるだろうことは目に見えている。これ自体は普通の人には大したことないのだろうが。
タワマンの方がデメリットが多く、尚且つオシャレなのは外観だけで住みづらいというのがある。かつて、ニュータウンブームらしきものが日本にはあり、沢山の団地が郊外に建てられたというが、その一方で今は住民の高齢化などで団地が寂れつつある(私が住んでいる街にも地味に団地があるものの、寂れていてつまんないところだったことは記憶している)。タワマンの周辺も店やら設備やらが整っているようだし、コンシェルジュなる人物がいるというのもあり、むしろ団地より便利そうである(周辺一帯が便利だから、そこから出られないという弊害も)。人は同じ歴史を二度繰り返すというのだろうか。だとしたら、高い建物を建てたがるのもヒトのサガだというのだろうか。
天空の城ラピュタのヒロイン、シータはかつてこう言った。「人は土から離れては生きられない」と。見栄のためにわざわざタワマンを購入する現代にも通じるものがある。
そう考えると、母がかつて言ったことも割りかし現実味を帯びてくる。「こっちの方が恵まれてるってこと、自覚しなさい」と。築六十年の一戸建てはそうそうあるものではなく、相方も「すごい」と言ったほどだった。家から少し歩けば沢山の駅にアクセス出来るものの、冬は寒くて夏は暑い……。
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