社会現象の倍返し

 今でこそ割りかし落ち着いてきているが、母に勧められて鬼滅の刃を観ている間は(今も、だろうか?)町中で鬼滅のグッズばかりを見かけていた。それこそゲーセンや中古屋、アニメイトにコンビニが鬼滅一色に染まっていたのだから、相当なものだっただろう。様々なコンテンツとコラボを重ねているせいもあるからか、関連グッズは博物館が出来上がる程多いのではないだろうか(細かいものまで入れれば、ワンフロア丸ごと鬼滅の刃専門店があってもおかしくないレベル)。その様子は、かつて進撃の巨人を家族で見ていた時のことを思い出させた。しかし、この盛り上がりようは明らかに進撃の時以上であり、このアニメが空前絶後のトンデモ大ブームを起こしたせいか「キメハラ」なる言葉まで生まれてしまう始末。その上、進撃とは違って幼児まで夢中になっている。コレを国民的アニメと呼ばずして、何と呼ぶのか(私も母に勧められて見始めた。ただ、色々理由を付けて遅刻している為にオープニングを見たことはない)。

 私の中で鬼滅の刃は、「勇者ヨシヒコ」であるべき作品だ。つまり、「思い出」として見るべきなのだ。影響を受けるつもりはなく、あまりの分かりやすさに、寧ろ影響を受けたら毒されるとも思ってしまう(専門分野とかみ合わないというのもある)。私の世界から追い出したいくらいには、本来興味がないものだから。少なくとも、今の私の中では「見たことない、知らないアニメ」から「知ってるアニメ」に様変わりような気もする。もう気になったグッズを購入してもいい、筈だが「流行に乗りたくない」と脳がソレを拒否してもいるので、グッズは一つも買ってはいない(見るだけで呆れるというのもあるが)。

 鬼滅の刃が進撃以上の人気作になった理由には、分かりやすさが背景にあると思う。必殺技の名前を叫んでいるし、個性的なキャラクターも多い。口調もありきたりや説明調ではなくて感情がこもっているからソフトに感じるし、キャラデザも分かりやすい異形のキャラクターが確かにいる。作品を癒すマスコットのような存在もいない訳ではないし、ゆるいギャグシーンもある。グロいところも確かにあるが、それらも含めて鬼滅の魅力なのではないかと思うのだ。母が「こんな時間に見る子がいるのかね」と呟いていたことはさておき、睡眠時間を削ってでも見たい人がいるのは確かだろう。自分の推しの活躍を見たいから、主人公のかっこいいところが見たいから。ちなみに私は強いて言えば禰󠄀豆子、蜜璃派である。

 

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