気づくことなき侵食

 「今の世の中は友達いない人が多いからね」という言葉を何度も聞いてきた。初めてそれを聞いた時、友達が少しでもいるのが普通だと思っていた私にとって、それはとても衝撃的で、ショックを受けるに値するものだったことをよく覚えている。曰く、友達は一人二人いるだけでもいいのだと。親友と呼べる程の関係がある人物は、地元にそれもたった二人しかいないが今尚繋がっている。これが普通だと、知らず知らずのうちに思っていたのだが、違うことに高校の頃気付かされた。兆候は既に、中学の頃からあったといえるが素通りしていたから分からなかったのだろう。

 どうして今は人とのつながりが少ないのだろう、と考えているうちにある三つの仮説にたどり着いた。それは、「一人でも出来るコンテンツの充実」「社会が複雑怪奇、且つ敏感になった」「一人当たりのプライベートタイムが少なくなった」というものである。全て私が見てきたものだが、気づいていないだけで実際のところはもっとある可能性もなくはない。臆病な私たちは知らず知らずのうちに、孤独を恐れるあまり自ら孤独に足を踏み入れているような気がしてならないのだ。

 人と人とのつながりが希薄になった現代社会を風刺したとあるPCゲームがある。そのゲームでは、今の社会を「色のない世界」と表現し、誰しも役割が与えられ(歪ではあるが)他人とつながりを持てる「お屋敷」がカラフルに描かれていた。主人公は、屋敷の主である夫人に拾われそこで働くことになるのだが、これがまた想像を絶する苛烈な仕打ちを受けまくるという……。しかし、それでも(ある意味)温かいその世界にいる限り彼は幸せでいられる。そこにしか居場所がないから。世界は既にこんなにも侵食されているのだ。

 居場所があるだけ幸せだといえるのだろうか。私自身が必要とされる限り、幸せでいられるのだろうか。私の幸せはそんな小さなところにはなくて、もっと大きなところにある、と高望みしなくて済むようになるだろうか。答えは出ない。けれど、なんだかんだで慰めてくれる親友はいる。当たり前だけどそうじゃない。

 管理されるということは、私にとって最も嫌な形で他人と結びつきを作るということだ。他人が妬ましくなりやすい私にとって、この上なく嫌な理由は一人の時間がなくなるから。自分の時間はいくらあっても足りないようなものだが、かといってニート(数ヶ月間やっていたが割と辛かった)になるのも、また違う。ほどほどが一番いいが、私にはそれすらも……。

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