欲しかったもの、欲しかった世界

 様々なことを、「知ることが好き」というだけで(偏りこそすれ)知って、それらを己の糧にしてきた。けれど、それでも知らないこと、できないことは確かにあって。試してみたくなる時がある。自分が知らないであろう世界を、小説の中に入れたらどうなるのか。まだ試したことのないことを、小説でやってみたらどうなるのか。まるでYouTuberめいてこそいるが、する価値はあるのだろう。それが前人未到の分野であったとすれ、諦めるつもりはない。実験は我が人生でもあるから。

 私がやってみたいことの一つは、小説の世界を絵画的に表現すること。今までに、逆(ストーリーを感じ取れる絵)はやってきたのだが、小説を絵画的に表現したことはないと思ったのだ。思えば、音ゲーに夢中になるあまり、自然と小説自体も音楽のようになっていったことはある意味大きな進歩だったのだろう。とはいえ、音楽は法則に囚われることで出来上がるから、そこで止まっているということはきっと私もまだまだなのだということ。ついでに本格的に音楽を作ろうと思えば、実は理系にならなくてはならない(再現するだけならだれでもできる)。何かに囚われ続けている私にとって、新しい世界に踏み出すことは難しいことでもあった。

 絵を描くことは音楽を作る以上に難しく、新たな世界を生み出すことさえ容易ではない(自由になることが重要だから)。ましてや、自分だけの楽しい世界は技量も伴っていなければできないと考えていい。私が描く絵はことごとく可愛いものばかりだから、目指す境地にすら辿り着けてはいないのだけど。沢山の記憶も、経験も新しいことの目の前では無意味なのだろう。

 私が今目指しているのは、「怖い絵」の世界。それとかっこいい世界。両方ともあまりの不器用さによって到達していないが、せめて怖い絵の世界は書いてみたい。描き手によって様々な色を見せてくれるその世界は万華鏡のようで、鮮やかな色と絵が見せる表情を以てして美しい世界を見せてくれる。その中には後世にもつながるメッセージや、悲痛な現実があって。だからこそ楽しいのだ。けれど私にはそんなものは描けない。苦手なものが多過ぎて、描けるものが少ないというのもあるから、逃げに走る訳である。

 沢山の世界を知っても、怖い絵を描くことは叶わないだろう。憧れは憧れのまま朽ちさせておいた方がいいのかもしれないと、私は遠い昔に悟っている。きっと終生私はジレンマに苦しみ続けるのだろう。それでも誰か一人でも肯定してくれるなら。

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