凄まじい伸び

 私は歌うのが好きだが、どういう訳か昔から(高校生くらいの時から)真面目に歌っていた。だからだろうか、いつしか「合唱曲」「オペラ歌手」と言われるようになってしまい、私は戸惑っていた。というのも、周りの、同い年の子達はテレビに出てくるような今時のアイドルのような声で歌っているのだから。知り合いの男性でも同じことが起きている、という事実は只々私にショックを与えた(声が影山ヒロノブみたいだったから)。どんなに難しい曲を歌い上げたとしても、只々妬ましい。今までにロシア語(攻殻機動隊のオープニング)の曲を歌い上げている(90点)が、巫山戯るということが出来ない私は、やはり浮いていた。

 巫山戯るということがどういうことなのか、私には未だに分からないし、例え出来たとしても全力を注いだ時点で巫山戯たことにはならない。真面目過ぎるといえばそれまでだが、遊びだろうと全力でやりたがる性分がそうさせるのだろうか。実際、負けるのは嫌いである。特に同い年に対しては。

 加えて、比べられることも自分の性質上恐ろしく苦手で、「どうして比べるのだろう」と思っている。マウントを取ることも、やっているうちに虚しくなるだけだというのに。

 カラオケの話に戻るが、私の音域はソプラノである(アルトだと上手く声が出せない)。しかし、喉が上手く使えず90点を出したことは少ない。それでも好きな曲は歌いたいし、どこまで行けるか試したい気持ちはあるのだ。実験は大好きだから、どこまで体当たりしても苦痛を感じることはない。日常生活でも同じようなものではあるが。ちなみに、カラオケの選曲はアニソンが中心だが、難しい曲ばかり歌うせいもあり、誰も私の真似をしたがらなかった。(高校生くらいの時の話)というのも、冒頭で書いたように、ロシア語の歌を普通に歌ってしまえるからというのと、その時同席していた子から見ればおかしく見えた(可能性)からだろう。自分ワールドを構築しまくってばかりいるからか、周りの目を疎かにしていた。世の中優しい人ばかりではなく、そういうことに対して憤りを感じる人がいるということを失念していたのだ。こうなるともう、引きこもりまっしぐらである。

 結局、カラオケは楽しんだ者勝ちなのである。全国ランキングも上位を目指さずに、楽しめればそれが一番なのだ。歌唱力は確かに武器になるが、自慢する以外には使い道がない(音楽教育を受けるなら話は別)。どこまで楽しめたらいいのかは分からないが。

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