自分らしく生きられる世界を

 この世の中には何もしていないのに、一方的に嫌われる人というのが一定数いるように思う。中身ではない、外見が原因で嫌われる人もいないわけではないのだ。その上、外見によっては苦労している人もいないわけではなく、当人達は「普通」になれないことを気にしている。生まれつきのものなのに、差別を受ける人もいるのだ。

 アルビノというのがその最たる例で、生まれた国によっては差別を受けるだけでなく命まで狙われるというのだから酷い話である。動物のアルビノは持て囃されるのに、人間は迫害するというのは間違っていると私は思う(もっというと、動物のアルビノを故意に作り出すというのも間違っているような気もするが)。彼らも我々と同じただの人間だというのに見た目が原因で迫害されているのだ。その上、アフリカでは「アルビノの身体は薬になる」「アルビノの身体で生まれてきたのは悪魔が取り憑いたせいだ」とまことしやかに囁かれており、地域によっては腕を持っていかれたり殺されたりと悲惨な目に遭っている人もいる。こうなるのは、こういった地域で碌に技術などが発展していないこともあり、呪いやらなんやらの迷信が蔓延っているのも理由の一つだからだが、いくら何でもやり過ぎな方向に向かっているような気がする。近年は彼らを救済する為の団体もあるが、それでも不完全だ。

 ところで、アルビノ自体は歴史を紐解いてみるとそう珍しいことでもなく、旧約聖書の時点で既にいるのだ。日本の天皇の中にもいた程で、意外とちゃんといるもんだなあと思った。しかし、古代は今以上に科学などが発展していないから、今以上に迫害されたのでは、と思う。

 いつの時代も、人と違うところを持っている人というのは差別や迫害の対象になってしまうのだな、と悲しく思った。こうなるのは誰のせいでもないのに、どうしてそんなことが出来るのだろう。いじめも同じことで、何故なくならないのだろう。人の事情は表からでは分からないことが多いから、どんな方向からでも寄り添ってくれる人は大事だ。そういう人はかなり貴重で、ひとりか二人しかいないというのもザラではあるが、それでも「孤独ではない」というだけでも、随分と救われる。

 今の時代、「自分を知る」「相手を知る」ということが適切に行われていないように思える。インターネットで綺麗なところだけを晒しているから、みんながそういう人だと信じ込むのも理由だろうか。プライドが邪魔するから、カッコ悪いところを見せられないというのは損な気もするが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る