リセットは挨拶から

 気のせいだろうか。挨拶の重要性を忘れていたように思う。いつも反射レベルでやっていることだからというのもあるのだが、当たり前だからこそふとした時に気付かされる、というのはあるのかもしれない。挨拶を返すのは義務だと思い込んでいた、というのもあるが、返さないとどうにもバツが悪い。「ありがとう」「ごめんなさい」もそんな感じで返していた。惰性で返していたのだ(反射レベルとはいえ)。

 反射レベルにまでなった時期までは覚えていない。気づいたらなっていたし、誰かから叩き込まれた可能性も否めない。「マナーだから」「常識だから」だけでここまで来たのだとすれば、ある意味すごいこと。私自身、マナーは愚か常識は疑ってかかる性格だからである。

 内心、挨拶を仕返すのは面倒くさいと思っていた(場合によっては、家族の前ではしないこともある)。しかし、身体が勝手に動いてしまう。或いは何も考えてないからこそできるのかもしれない。ちなみにこの時声が大きくなるのだが、ここ最近は体調を崩しやすくなっている分大きな声が出しにくくなっているような気もする。私自身、寒いのは物凄く苦手だ(暑いのも苦手だから、一年中春みたいな気温のところに住んでみたいと思っている)。

 ところで日本の挨拶とは独特なもので、「おはようございます」一つとってもかなり相手を思いやっていることが分かる。他の国での「おはようございます」は、「いい朝ですね」という意味になるからだ。「おはようございます」とは、「お早くから○○ですね」という意味であり、朝早くから相手を褒めているのだ。「いただきます」「ごちそうさま」も他の国にはない。キリスト教なら、食事の前に祈る程度はするだろうが、明確な「いただきます」「ごちそうさま」という言葉はない。仏教が伝来し、その前から神道が浸透していた日本だから出来た言葉でもあるのだろう(島根県民曰く、出雲には「モノを大切にする神様」がいるようだ)。日本は繊細だな、と改めて思った。

 挨拶をすることで、その場は一旦(ほんの一瞬だけ)リセットされる。どんなに悪い印象を私に持っていても。一度きりだが、効果はあるだろう。少なくとも無いよりはマシだから。

 近頃ちゃんと挨拶をしない人が増えているようで、「あいさつ運動」を行う学校もあるようだ。リセットが必要不可欠だというならば、毎朝挨拶してやる勢いはあってもいいだろう。実際返さないと感じ悪いし、モヤモヤするから。

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