移ろいゆく街の中で

 LEDと聞いて、あなたはどんなモノを思い浮かべるだろうか。家の照明?それともおもちゃ?はたまた、何かに付いているライトだろうか。信号機も今はLEDに移り変わり、電球式のものはめっきり姿を見なくなった。それ以前に、電球というモノを全く見ない。世間ではLEDが持て囃されているように感じる。今まで使われていた電球よりも、蛍光灯よりも更に少ない紫外線と電力量で明るくなるから。そして、電球とは違い昼間でも遠くからはっきりと見える。電球式の信号機だと、こうはいかない。極め付けは、夜。

 沢山の信号機がまるでイルミネーションのように耀くのだ。その様はネオン街や賑やかな駅前を連想させる。美しい、というよりは温かいが適当だろうか。冷たい街の中の小さな奇跡を連想するから。汚れた街を、暫くは幻で包み込んで錯覚させてくれるから。朝が来れば味気ない日がまたやってくるが、夜は冷えこそすれ(都会限定)楽しい時間がこちらからやってきて、何も見ないで目の前のことを考えていられる。一歩都会から離れたなら、その耀きは失われてしまうけど、都会の明るいところを歩き続けていれば心細い思いをすることはない。照らしてくれるのは道だけではないのだから。

 一方で、LEDは人々の生活を変えてしまったように思える。というより、人々が理想とする灯の最終進化形に行き着いたのだろう。昼間が味気ない時間になり(安全な時間でもあるが)、夜が楽しい時間になった。ゲームをしたり、テレビを見たり、パーティや飲み会をしたり。けれどもそれは、危うさと隣り合わせの楽しさであって、すぐに散ってしまう桜のような儚さ。一時の刹那的な感情はすぐに通り過ぎていく。それを求める為に、人は今日も夜の雑踏へ足を踏み入れる。

 私はとても臆病で、夜に街へ出ることは滅多にない(仮にやるならお使いを頼まれた時くらい)。だからだろうか、夜の街には興味がない。それよりも家で絵や小説を描いていた方がずっとずっと楽しいと思える。怖がりな私は、(何かに夢中になっていた、とかの理由がない限り)日が落ちればすぐに家に帰るのだ。門限だってたまには破るが、怖がり故に守り通す。だからだろうか、夜の楽しみを私は殆ど知らない。世間知らずなのだろう。けれど、小さい頃からの生き方しか知らないから仕方がないことなのだ。できることだって精々小さなイタズラか、善行を積むことくらい(自分が迷惑なら、善行を積んで相殺しようという……)だ。

 いつになったら自分の殻を破れるだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る