感動?スペクタクルショー

 突然だが、私は(自ら怠け者になりたがるレベルで)努力が嫌いだ。というより、厳密には「努力」という言葉が嫌いだ(言葉の意味を信じたくないくらいに嫌い)。求めるモノの為には執念深くなるが、その先にあるモノが見たいだけだから気にしない方がいい。好奇心と「関心」はいつだって、楽しい世界へと連れて行ってくれるから、その途中で作る痛みなどへっちゃらなのだ。寧ろ、自分から体当たりをしに行っているようなものだから、後悔などしない。それでも、不器用な私はいくら体当たりをしても、(大好きな音ゲーでは)後輩にすら敵わないという事実がある。

 元から(ストレスを溜め込むのが嫌いで)ゲームには恐れを抱いていた(弟に負けまくるレベル)私は、自然とゲーム以外のモノに興味を持つようになっていった。その中の数少ない例外は音ゲーであるが、最大二回までであればフルコンボを見せることが出来るというのは大きな強みだと思う(ノーマル限定というのがネックだが)。ちなみに、一度でも見せると大体手放しで賞賛が来るのだが、私の場合はそこで満足はできない。にも関わらず、好プレー扱いだったということはたまにある。

 その日、ゲーム友達と一緒に秋葉原に行っていた(ある理由で懐事情が改善せず、未だに貧乏だから、月に一度しか行けない)私は、誕生日スペシャルということで贅を尽くしていた(友達からしてみれば欲は少ないようだが)。回らない寿司に、(中古の)限定グッズなどなど。音ゲーでは一回だけ対戦もしてもらった。暫くして、あまりにも吐き気がする(食べ過ぎるとたまにそうなる)ので休める場所に行ったのだが、駆け込んだゲーセンにはある筈の椅子がない。もう無理そうだ、と思った時にトイレに駆け込み、私はしっかり吐き戻し、多少元気になったのだった。意気揚々と再度音ゲーに挑むも、一度目はフルコンボが一度も出来なかったのだが、ここで私にある考えが浮かんだ。「どうせなら全力でふざけよう」と。私は、お気に入りの女の子キャラを選び、その日解禁したばかりの曲を選択した。理由は単に惹かれたからだが、一回二回とどこかで必ずミスをしてしまう。しかし、ミスをした場所自体は全く違うから、それを頭の中で組み合わせた上で警戒しながら攻略し、私は漸くフルコンボを刻んだのだった(結果はギリギリだったが)。後ろで見ていたゲーム友達は「感動した」と言うが、私としては恥ずかしいところを見せたような気もした。それに、実はアレ自体は少し物足りない結果だったのだが、相手は気づいていない。感動を生み出したのは私自身の力ではあるのだろうが、それ以上に粘着質な性格がいい方向に動いたからこそ、ということだろうか。

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