何故、人は二次創作を作るのか

 楽しい作品というのは、時に人の人生を狂わせることがある。時には、全てを捧げても構わないというくらいに。終わってしまった作品でさえ、未だ沢山の二次創作が作られているのを私は見た。その多くはチープなもので、中には夢小説というものもある。かくいう私も本来は二次創作者の一人なのだが、私は二次創作者としては壊滅的に向いていないのだ。というのも、私が書いている二次創作というのは、もはや二次創作を通り越してオリジナルと化しているのである(詳しくはpixivで)

 二次創作にしてもあそこまで本格的かつ、読者にトラウマを与え(前例あり)、独自解釈や再解釈がやたら多いとはいえ、他の追随を許さないタイプの二次創作はかなり珍しい部類に入るのではないだろうか。私にその自覚はさほどないものの(皆と同じことをしている程度に考えているので)、物珍しさから(かなり少ないが)固定ファンは付いていた。

 私が本格的に二次創作を書き始めた理由は長くなるので割愛しようと思う。何より、私の人生に大きな影響を与えた出来事でもあるので、あまりここでは伝えたいと思わないのだ。確実なのは、私が望む二次創作とは沢山の音楽と断章から成る、絶望的で救いのないオペラであるということ。

 通常、二次創作というのは同じ志を持ったファンと交流する為に作るものだが(同担拒否という人もいそうではある)、中にはオリジナルが注目されるかどうか不安だからこそ二次創作に手を付ける人もいる。私も(半分脱却しかけてはいるが)その一人なのだが、リアルで何回も見せたら、仲間からは「もはやオリジナル」「レベルが高い」と言われ、結局仲間入りすることは出来なかった。大学時代のことである。更にはpixivでも同じような盟友を探そうとするも、私のような者は珍し過ぎるのかやはり見つからない。Twitterでは「オリジナル向きですね」とはっきり言われ(オリジナルの方がウケは良い)、私は途方に暮れていた。

 沢山の音楽をイメージし、斜め上のクロスオーバー(「おいやめろ」と言われるレベル)、自作の詩(父曰く「難解」)を沢山ぶっ込んでも尚、私はライバル(10歳年上)に勝つことは出来ず(ある意味追い越してはいるが、結果としては納得できない)、独自の地位を築いてしまったという事実は簡単に受け入れられるものではない。頭の中で沢山の音楽が再生されている以上は仕方ないのだが、そこまで理解が及ぶ人は少ないし、この二次創作が何なのかその解明が出来る人も僅かという時点である意味詰みかもしれない。いっそオリジナルに転向した方がいいのだろうか。それだと自由になれないのがネックだが。

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