別に…………って訳じゃない

 昔から私の家は世間から見たら「健康志向」のように見える食生活だった。少なくとも出来るだけ食材には気を使っているように感じるし、私自身一人で外食した時は何故か健康的なメニューになっていることがある。どう考えてもおかしくないだろうか。私は単に噛みたいものがあるだけなのに。安く済ませたいだけなのに。この二週間はある出来事がきっかけで、以前よりも食べられるものが減ってしまってもいつも通り、「こんな感じ」である。ちなみに、定食屋に通っていた理由も健康志向だからという訳ではない。単に空腹を満たしたいからである。好きなものだけで。簡単に満腹になれるのは定食くらいのものだから。まあ、メニューがメニューだから、これもまた勘違いの原因なのだろうけど。

 こんな私だが、人と外食に行くと何故か一転して不健康なモノを頼もうとする傾向があるのは何故だろうか。普段はお茶しか飲まない私が、ジュースやメロンソーダを飲むことさえあるのだ。意外に思われるかもしれないが、私は滅多にジュースを飲まない人間である。ジュースは特別な日に飲むべきものなのだ。同じように、外食も本来は滅多にしない。特別な日に何もかも放り出していくのが外食だから。最近はサブウェイ頼りだが、薬の副作用が原因だから、私自身は何も悪くない。

 意外にも、世間の人は知らないことが一つ確実にある。それは、「真心を込めて作られた料理はどんなものであれご馳走」だということ。私のベロは人一倍敏感だから、機械で切られた野菜の味や加工食品などの味と、手で切られた野菜と手で作った料理の味が分かってしまうのだ(ちなみに、瓶入り牛乳とパック入り牛乳の味の違いも僅かに分かる)。コレを知らない人は意外と多く、現代だから仕方ないと思いつつ呆れてもいる。加工食品が巷に溢れているから、は一昔前だったら恐らくご法度だっただろう。私は最近加工食品や外食ばかりだからこそ、手作りのありがたみが分かってきたのだろうか。

 お粥一つ、味噌汁一つ取っても手作りの方がいいのは明白で、レトルトだと種類が限られてしまうのだ(味噌汁については好きなやつもある)。寧ろ、自分でカスタマイズや実験が出来る分、手作りの方がいいのは確かだろう。

 現代人はやたらと時間がないせいか、場当たり的な対処療法に頼っている気がする。便利になったのはいいが、そのかわりに何かを失ったように思えるのだ。真心は合理性に負けてしまったのだろうか。それともまだ生き残っているのだろうか。

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