大人になってから気づいたこと

 街の至るところで「ジョーカー」が持て囃され、中学の時のクラスメイトは強いポケモンに「切り札」という名前をつけていたような気がする(覚えている限り、禁止級伝説)。兎にも角にも、ジョーカーという言葉はかっこいいものだとされていたあの頃、私は何も知らなかったのだ。今なら私もある種の「ジョーカー」だと名乗れそうな気がしなくもない。いや、見方を変えれば皆ジョーカーかもしれないと、今なら思える。皆、人生という舞台の上で踊り続けているから。

 「ジョーカー」という単語は元来、ひょうきん者という意味だったが、トランプではよくジョーカーのカードが「最強」「切り札」として扱われている。そのうちこの単語も最強として、中二病くさく使われるようになった。ゲームの上では無敵を誇れど、現実のジョーカーは弱いままだ。いくらジョークの才能に優れていても、それが取り柄になる訳でもない。中には狂人だっている……というのを知ったのは、つい最近。シノアリスがバットマンとコラボしたのがきっかけだ。

 私はフィクションの狂人に惹かれやすいようで(自分自身も狂人だからだろうか)、悪役だろうが味方だろうが狂人には魅力を覚える。今回コラボガチャで手に入れたジョーカーは、声が好み(好きなキャラの声。グローリア)で気に入っている(中の人ネタとして、「コイツに餃子奢ったら帰ってくれるかな」と思ったりも。餃子の元ネタについて、詳しくはドロヘドロをご覧ください)。

 肝心の性能は後衛タイプで、攻撃力には欠ける。ついでに、ストーリー上では精神病院から脱走した犯罪者という設定である。むしろよくプレイアブル出来たな、と思えるがこれくらいぶっ壊れなキャラクターはシノアリスではたまにいる。だから、シノアリスの世界では脇役もいいところだ。

 彼の存在を知ったことで、私はまた一つ世界を知り、物語作りの幅が増えたのかもしれない。一つの知識を知るたびに世界が少しずつ広がっていき、終わりのないその世界が少しずつ彩られていく。とはいえ、私が描くキャラクターに(自分にとって)不愉快な奴はいない。むしろいるのはいつだって自由で楽しく、かわいらしいキャラクターばかりだ。こればかりは画力と得意分野の都合で仕方ないのだが。文字の上でなら、老若男女問わず書けるのに。そういう意味ではプロの漫画家さんを尊敬している。

 また今日も新たな「ジョーカー」の物語を書こうかと思っているが、完全オリジナルは縛りが多すぎて二の足を踏むのが常という……。

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