漸く分かったのは

 「パクラーになるものではない」と言われている理由に反して、今まで私は「なりたい」と思ってきたが、その理由がバイトを始めて少し経ってから漸く分かったのだ。今ならある程度分かる気がする。私が見てきたもの、聴いてきた曲、触ったもの、記憶、持っているモノ全てを組み合わせて作り上げた世界。それらにオリジナリティが存在するということは正しいのだと。もうこれ以上苦しめられる必要はないのだと。二次創作だからパクっていい(わかりやすいパクリを避けてはいたが、逆にそれが却ってオリジナリティの増幅に繋がっていた)道理はないし、寧ろ沢山のオリジナル要素を入れなければならないと私は思う。

 作品を作るという行為は、どんなモノであっても本来なら職人のような繊細さや記者のような情報量、発明家のような発想力などが必要になってくる。知性やセンスの高さも重要である上、大半の人は途中で挫折してしまうからか完結した作品というものはそれだけで価値がある。特にオリジナルのものは。世間的には二次創作というものは認められにくいのだ。

 以前叔父は「二次創作を作るのは、オリジナルの作品を作るのが怖いからじゃないの?」と言っていた。言われてみればそうなのかもしれないが、それでも私は二次創作を最後までやり切った人を尊敬するし、だからこそ元カレと同じ轍を歩もうと思ったのだ。しかし同じことを何度繰り返しても、失敗続きであり、あまりの理不尽さに挫折しそうになった。結局、元カレの作品に勝つには二次創作ではなくオリジナルを叩きつける以外ないとその時に思い知らされたのだった。

 そんな矢先にかつて児童館で親身に接してくれた人からバイトの話を持ちかけられ、七月から働き始めたのだが、働き始めてから少し経った頃に上司からこんなことを言われた。

「今のままだと、コピペばっかりで魂がこもってないよ」

 言われたのは仕事の最中だったが、創作を趣味としている私はハッとした。漸くパクリがいけない理由が明らかになったのだから。「魂がこもっていない」創作には意味がない。パクリを露骨にしてしまったらば、一時的にファンは増えるだろうが継続してファンを増やすことはままならないだろう。だから元ネタが一切分からないレベルのオリジナルがよしとされるのだ(今まですごいと言われてきたのはそのせいだろうか?)。

 キャラ設定は私から見たら当たり前の要素が多いし、敢えて実験している部分もある。私自身、未だに分からないことが多いから。

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