尖りすぎて夏

 皆さんは奇ゲーと呼ばれるゲームをご存知だろうか。世に知られている奇ゲーは、バロックや東脳、LSDにガラージュであるが、そのうちガラージュだけはとある理由で3500本しか世に出ていない。とても奇妙な暗闇の世界に魅了された私は、リメイク版の発売を心待ちにしている。

 私が奇ゲーを知った理由に深い意味はなく、単に楽しそうだからという理由で追い求め始めた。他にはない世界観を気に入った私は、その一部の要素を自分の世界に組み込み、オマージュやパロディに使用した(のだが、何故かバレていない)。昔はバロックが好きだったが(今も好きではある)、今はガラージュの方が気になっている。

 バロックには異形のキャラクターと人間(の姿をした)キャラクターがいるが、ガラージュには機械と蟹、蛙しかいない。全て精神世界の中で完結するからだ。その上、恐ろしく暗い。バロックは明るいところもあるが、ガラージュにはエンディングを除いて明るいところは全くない。怖いといえばそうなるのかもしれないが、同時にある種の安心感を覚えた。私は確信した。「楽しそう」だと。

 戻って来られないくらい、ズブズブと引きずり込まれるワクワクするような冒険を私は待ち望んでいる。それがゲームの世界にあって、尚且つ自分の世界にも組み込めるのだとしたら。こんなに素晴らしいことはないだろう。決して完成することのない世界の地下に存在する暗闇は、私以外の人も呑み込んでしまうだろう。

 ところで、私の尖り方はどことなくセガがかつて作った製品によく似ていると思うのだが、どうだろうか。ずれているというか、ある種革新的というか。そうして作られたものは、万人受けこそしないものの、ファンの心に根付いていくというメカニズム。作品は真摯に作り上げていること、楽しみながら作っていることから楽しさが伝わってくるという。当たり前だろう。楽しい世界を作らなければ意味がないのだ。それに、作品の世界観は憧れを形にしたいからこそ長い時間をかけて練り上げていくものだと思うのだ。ある意味本物志向だが、そうでなければいけないという強迫観念が心のどこかにある。(一応これ以外にも理由はあるが)元カレの影に苦しめられている今、彼に勝つことが至上命題になっている。しかし、アンチは愚かファンすら少ない私に勝ち目などあるのだろうか。同じ土俵で戦うことすらキツい私が既に勝っていると言われても、私が納得しない限りこの戦いは続くだろう。

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