全てがフラットになった日

(本当なら昨日書く予定だったんですが、ダレてしまったので今日書きます)



 「あの頃よりも今の方がいい」と老人達は口を揃えてそう言った。というのも、彼らが若かったもしくは幼かった時代、日本は戦争をしていたからだ。彼らは壮絶な体験をし、中には家族と死に別れた者もいた。戦火は日本中の何もかもを焼き尽くし、老いも若きも、果ては身分も関係なしに滅ぼしていった。サイレンが連日鳴り響き、人々は防空壕へ避難することを余儀なくされる。のんびりという言葉が失われるくらいには、忙しなく足掻いた時代。今いる老人達は、そんな時代がくるほんの少し前に生まれてきた。

 私の祖母は裕福な(社長令嬢だったが、同時に大家族でもあった。また、かつては一人だけ女中を雇っていたという)家の生まれだったが、その幼年期は壮絶と言わざるを得ないもので(東京大空襲経験者)あった。連日まだ幼い弟や妹を連れて暗くて臭い防空壕に避難させられる。学校の授業もマトモに受けられず、(本人曰く人伝てに聞いた話ではあるらしいが)避難する途中には頭をかち割られた骸が転がっていたともいう。ちなみに一家全員生き残っている珍しい家でもある(但し、少し前に曽祖母が天寿を全うした)。

 戦火を逃れる為に田舎へ疎開し、やがて戦争は終結した。が、彼らを待っていたのはまたしても苦難の日々だった。まず食べ物の問題があったのだ。学校給食の脱脂粉乳は(これには傷んでいたという理由もあるのだが)まずくてとても飲めたものではなく、かといって食べ物に文句をつけられる程飽食の時代という訳でもなかったのだ。とにかくないない尽くしの時代だったこともあり、裕福な家の者でも満足に食べられない日はあっただろう(パンばっかり食べた、と本人も言っていたし、未熟なトマトや傷みかけの魚を食べなければいけない時があったとも)。

 別の話では、現上司の曽祖父に従軍経験があったという(ほぼ分からないのだが、唯一「俺は人を沢山殺したから地獄に行くだろうな」と言っていたことだけは昔聞かせてもらったことがある)。彼らだって、戦争がなければ平和に暮らしていた筈だった。どんな人の命も平等に奪わなければならない苦痛は、筆舌に尽くし難いものだっただろう。

 私は戦争を体験したことがないが、博物館で見る当時の資料や手記、老人達の話からして凄まじく抑圧されていて、恐ろしく不自由で何より常に命の危険に晒された暮らしだったんだろうな、ということは嫌でも分かる。だからこそ、今を生きる私達は平和なこの世で生きられることを感謝しなくてはならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る