感覚は治らない

 昔から時間感覚が掴めず、いつものんびりするのが大好きだった。それでいて好きなことには一生懸命だから、好きなことを仕事に出来ればそれが一番いいなとも思っている。時間を気にせず出来るから(多分)。楽しい時間は大体過ぎるのが恐ろしく速くて、いとこと過ごす時間はとても楽しかった(今は別のところで家庭を持っているから、軽々しく「遊ぼう」などとは言えなくなってしまった)。絵だってうまくて、憧れの人だった(文章力は……。意外な弱点として学校の勉強が嫌いだったらしい)。

 嗅覚や聴覚、それに温度変化などの感覚も必要以上に敏感で、地球(日本の関東)で生きることには向いていない気がする。感受性もかなり強く、煽り耐性もかなり弱い。耐えることが苦手で、必ずどこかで発散しなければならないあたり、私は何故ここで生きているのだろう、と思ってしまう。人並みの感覚を持って生まれてきたのなら、私はここまで疎外感を感じずに幸せを享受出来ただろうか。ちなみに、味覚もかなり敏感だからコンビニ弁当があまり食べられない(食べた時に違和感を覚えるせいで)。

 人混みが苦手な上、雨の日は起きるのが億劫になってしまう。それでいて夜は何故かハイテンションになるから、趣味の創作が捗る。夜行性と言ってしまえばそれまでだが、夜に外へ出ることは滅多にない。昼ならまだ出られるのだが。

 流行り物には興味がない(仮に興味が出るとしても、かなり後だろう)し、世の中大体のものは私の感覚には合わないものばかりでつまらないと感じる。私が見つけられていないだけなのかもしれないが。今まで続いているものの殆どは、私が自分から選び取ったもので、それを心から楽しいと思っている。害になるものなら最初から選び取らないし、避けている(サバゲー嫌いなのもその為)。

 賭け事はじっとしている私には性に合わないから嫌いだ。結果が終わったらすぐに出てきて、私自身が楽しいと思えるものでなければならない。どちらかが欠けていては楽しめない。それに本物の金銭を賭けるのは酔狂だとも感じる(クレーンゲーム?今は貧乏だから殆どやってないし、中古を買えば事足りる。ちなみに元カレがクレーンゲーム全く出来なかったのもあって、私が景品取ったことがある)。

 キーボードを打つのは苦手だ(スマホのキーパッドを打つのも)。頻繁に押し間違えるから、慎重になっていなければならない。体が言うことを聞かないこともあるから、私の脳みそはデメリットが多くて生きにくい(ルーチンを落とし込めたらある程度はイケるけど、多分ソレも限界がある)。

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