幸せであるならば

 よく言われるのは、「こいついつも楽しそうだな」「いつも幸せそうだな」という言葉。実際には私自身、人が見ている程幸せではないと感じている。高校の時は変わり者故にいじめられ(地元の児童館や親友の存在には助けられた)、実際にやりたいことと得意なことが食い違い、意図しない形で才能が見つかる。その上、周りの人とは考えが合わず(私の考えは常識から外れているから)、真の意味で変われるようになったのは最近、とかなり遅い。だからこそ、普通の人に(もっと言えば普通の脳みそに)生まれてみたかったというのが本音だ。仲間が多いから。「なら何故人に合わせなかった?」という声も多く聞こえるだろうが、私は耐えることが下手(キャパシティがあまりに小さいので)なのである。だから耐えながら生きるなら、自由気ままに生きたい。人に合わせるというのは、心を開けて尚且つ着いて行こうと思う人でもない限り、出来ないことだから。

 流行というものが昔から苦手だった。だから自分だけの世界を作って、ずっとその中で物語を構築するのが好きだった。時にはありのままを詩にしようとも思ったが、絵を描くのが好きだった私のプライドはそれを許さなかった。文章だけで自分の世界を構築するのは今でも苦手で、思わず弱音を吐きたくなってしまう。そもそも、文章の才能さえ見出されなければ、私は今でも絵の世界だけで生きていたかもしれないのだ。神様は意地悪だ、と生まれて初めてこの時思った。

 人に合わせるのが苦手な私だからこそ書ける作品というものはあるのだろうか。元カレはファンもアンチも沢山集めていた(十歳以上年上であるから、その分経験も豊富な筈なのだが)から、羨ましいを通り越して今は妬ましい。だから何としても彼を越えなければいけないというのが心の中にある……のだが、実のところ結果的には、私自身幸せになれているのではないか?とも思う。趣味に打ち込めて、近くに友達がいて、甘えられる人がいて、のんびり出来て、好きなものが好きなだけ食べられて……。それでも欲しいものは日に日に増えていき、家の中にはいたくない時もある。余計なことを考え込んでしまうこともあれば、ゲームに没頭できるときもある。楽しいことを日々求めている私にとって、自分の世界だけが一番安らげる場所であるが、私はあくまでゲームマスターであり、神である為に居場所はない。けれどそれが一番なのだ。

 皆が私を異端だと言うが、私は別にそうは思わない。寧ろ私から見たら言った方が異端に見えるのだから。

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