自分の中の理論

 私の頭の中がどうなっているのか知りたいという人が稀にいるが、そんなことを知ってどうするんだと私は言いたくなる。相手は私のことを知りたいのだろうが、私から見たら「知らない方がいいこともあるのだから敢えて教える必要はない」ので、いつも通りに接する。尤も、一見謎な行動にも意味があると知る輩はかなり少ない。私の中の理論は世間では罷り通らないというのは知っている。が、「あなたの全てを教えてほしい」というのはお門違いではなかろうか。考えていることなど、誰にも分からないのが普通だから。

 これは経験則だが、「相手が考えていることがわからない」と言う人は相手を束縛したがる傾向がある(ような気がする)。何故束縛したいのか、こっちが知りたい。彼らにも確固たる理論があって、その上で私のことを知りたがるのだろう。けれど、それでは困る。何も言わなくても察して欲しいときは確かにあるのだから。

 私の頭の中はいつも忙しく、沢山の言葉が同時並行で再生されているような感じ或いはブロック崩しでいう沢山のボールが縦横無尽に跳ね回っている感じである(実際にこれをやろうとすると難しい)。複数のネタが思い付いている以上はそれを消化したいが、私自身はかなりののんびり屋である為かなかなか手につかないのが現状だ。スイッチが入れば寝食を忘れて集中できるのだが、そんなことまで説明しなければならないのかと今は呆れている。また、好きなものにはとことんまで執着し、それ故に他人と衝突することも珍しくはない(そのせいか、私自身のファンは少ない)。

 言葉で説明するのは面倒臭いし苦手なことの一つだから、なるべくなら説明せずに終わらせたい場面が多々ある。筆談ならコミュニケーションがスムーズにいくので、本来はその方がいいが世間はそれを許さない(電子メモパッドを一台所有しているが、プライベートでしか使えない)。何故だかこの国の社会は少数派を許すことがないので、私は生きづらいままだ。真に私を理解してくれる人は未だに現れないし、恐らくこれからも現れないのだろう。

 全ての行動はどこかでリンクしているということに気づける人は少なく、私も会ったことはない。表の意図と裏の意図があったり、結果的にリンクしたり。大多数の人は点で考えているからだろう。後から繋げたら線にはなるが、結果を考えてはいない。だからといって最初から線で考えることはかなり難しい(私自身、親戚公認で頭の回転は速いが良くて一手先しか読めない)。結局、刹那的に生きた方が幸せなのだろうか。

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