憧れのヴィクトリア朝
お人形さんがいっぱいで、煌びやかで豪華な時代はヨーロッパには確かに存在した。お嬢様のテンプレがこの頃に完成したといってもいいだろう。フリルやレース、リボンで彩られたドレスにペチコート。それとドロワーズ。コルセットは御免被るが、華やかな格好が似合う西洋人に生まれたかったと私は今でも思っている。一方で古い慣習に囚われ、スカートの長さが明らかに長すぎというのは嫌だなぁとも思う。裾を引き摺ると汚れてしまうだろうから(後にスカートの長さはどんどん短くなっていく)。
メイドさんや執事などの使用人が明確に登場したのもこの時代であるが、サブカル界隈でよく見るような彼らではなく、彼らにはほぼ自由などなかったといってもいい。ついでに、メイドさんには家の家事を一手に担う人もいたようだ(中流階級の家に多くいた)。結構ハードな仕事だったようで(似たような事例を一応祖母から聞かされた)、居つかないメイドさんも多かったそうな。
ヴィクトリア朝は華やかなだけの時代ではなく、女性はがんじがらめにされていた時代でもあり、地位は低く職業選択の自由も今ほどなかったし、例え貴族に生まれたとしても決められた「女の幸せ」を歩む以外に選択肢はなかった。跡継ぎを産むことが女の役目だったし、妻は夫に逆らわないのが普通だったとされる。女性の参政権だって認められるのは大分後の話だし、とにかく女性に自由などないに等しかった。家庭教師はいたが、男女で教える内容は違ったし、ちゃんとした学校に行けるのは男子だけとここでも差別されていた。
結局のところ、今(も今で新たな問題が山積みだが)と昔、どっちが一番なのだろうか。人としての温かみがあるのはヴィクトリア朝時代だと思うが、便利になって社会的な自由も保障されているのは今である。あらゆるものが洗練され、選択肢だって比べものにならないくらいには増えているし、楽しみだって増えた(私が知る限り、大体の人はゲームかYoutube一辺倒だが)。限られた人達の間でしか生きられないわけでもなく、(少なくともサイバー上では)世界中の人と交流できるようになったし、マイノリティが受け入れられる時代にはなってきた。
それでも私は憧れている。お人形さんのような少女達が現実にいた時代に。御伽話の世界が、目の前に広がっていた時代に(ヴィクトリア朝時代を素で楽しめる時期はなんだかんだいって子供時代だけだと思うのだが、どうなんだろう)。
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