何故気にするの?

 私自身、SNSはLINEとTwitterとpixiv以外していないが、世の中にはFacebookやInstagramといったものもあるという。どちらも敷居が(前者は実名で登録、後者はTwitterでもできるし、興味がないというのもある)高く、維持するのも発信するのも楽ではない。また、世間が様々なことに敏感になっているのもあってか、何気ない一言が炎上のタネになることもある(私は一度も炎上したことがない)。しかし、私がSNSに対して思うのは、そういったことではない。私なんかよりもっと無謀なことをしている人に対してである。

 皆様は「インスタ映え」という言葉をご存知だろうか。いいね目当てに写真や画像を投稿するという行為なのだが、(全てではないにせよ)かなり酷い。というのも、写真を投稿した後は食べ物を食べずに捨てる、風景の写真を撮る為だけに危険なところへ行くなど、己の身を顧みない上に勿体ないことを平然としてのけるその精神は、呆れを通り越して感動すら覚える(いっそ羨ましいと感じる)。何故そこまで執拗にいいねだけを求められるのだろうか。私の目には不思議な人達だと映る。

 私もいいねが付くのは嬉しいが、執拗に求めるようなものではないと考えている。寧ろ、付いたらラッキー程度に考えていることもある。それに、いいね目当てならどこでもいい筈なのに。何故、食べ物を無駄にするのだろう。ちゃんと食べなければいけないのに。日本人の生活が次第にアメリカの大量生産、大量消費に取り憑かれていっている気がしなくもないのは気のせいだろうか。

 私自身、情報発信というものは自分の得意なことや好きなことの為にするものだと思っているからか、こうした人の気持ちは分からない。もしかしたら、心に隙間があって誰かから認められたいという想いがあるのかもしれない。けれど、私はそうするだけ無駄だと思っている。本末転倒なやり方はいつかどこかで破綻するから。

 好きなことを共有できる相手がいて、遊びに行ける相手がいて、それだけでもとても幸せなことだと思えるのに、そこから先を求めるのは人間の業というものを体現しているようで恐ろしく思う。日常の中のささやかな幸せが、本来人の生きる糧であった筈なのに形のないものをいつから追い求めるようになったのだろうか。いつから完璧を求めて贅沢になったのだろうか。

 少しでも輝きたいという気持ちはやがて大きな力となるのだろう。それをどこで発散できるのか。それが要となる。

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