こだわりの呪い

 作家という者は、大体にして譲れないこだわりが多いと私は思う。普通の人であっても、大なり小なりこだわりはあるが、恐らく人並みのこだわりというのは変人のそれより遥かにささやかであることに変わりはない。こだわりを捨ててしまえば、楽にはなるがアイデンティティは失われてしまう。それに、自分の世界観というものも。また、こだわりが強すぎるとどうなるか私自身、既に肌で感じ取っている。

 世の中に転がっているこだわりの殆どは、こだわりといえるレベルには達していない。こだわりというものは我の強さを表すバロメーターでもあるからだ。私は昔からずっと我の強い性格で、自分の世界を持っている。自慢という訳ではなく、これが素の性格なのだが世の人の目には「いい子」「面白い人」で通っているのが不思議に感じられる。単に自然体で暮らしているだけなのだが(味方はかなり少ないが、私としてはそれでいいと思っている)。今表に出ている「自分の世界」は、ほんの一部でしかもオリジナルに至っては出涸らしレベルでしかない(というより、半分二次創作の後追いをしている)。楽しくはあるが、自分の全てを出せないからかもどかしくも感じる。

 私は音ゲーをしているのだが(ポップン。稀にリフレクも)、その時も(物語や絵を描くという目的があるので)こだわりは結局捨てていない。所謂縛りプレイというものをしているのだ。基本的に一日(体力不足になってしまうのを防ぐ為)三百円、それも一週間に一回だけ。フルコンボ出来ない曲は記憶力でカバーするという条件の元でやっている(中には特定のキャラを選んでフルコンボという曲もある)。これは私にとって当然のことであり、日常の一部であるのだが、誰もそうは思わないようだ(それ故に音ゲーの覇者と呼ばれた)。ちなみにフルコンボしやすいようにノーマルの譜面しかやっていない。側から見れば凄いらしいが、私には何故なのか理解出来なかった。

 こだわりが強すぎて結果的に破滅した礼も中にはある。というか、捨て去らなければいけない類のこだわりをいつまでも持ち続けたが故、互いに譲歩しなかったから元カレとは別れた(私にもいえることではあるが。互いに本来交わってはいけない人間だったともいえなくもない)。

 結果的に、人生においてこだわりというものは呪いになり得るものであるが、一方で昇華させればそれだけ美しいものにもなり得るというのが、私なりのこだわり論である。しかしその為には何かを捨て去るか引っ込めなければならないという……。

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