芸術作品のインパクト

 世に出ている絵画で一般的に知られているものの殆どは、煌びやかで美しい。中には曰く付きのものがありこそすれ、大体においてインパクトという言葉とは無縁なものばかりである。しかし、近現代の絵は抽象画が入ることになっただけはあり、ものによってはインパクトが強いものも出てくるようになった。それと関係があるのかは分からないが、面白い(意図はあんまり理解できない)絵画も世に出てくるようになった。従来の具象画もまだまだ現役だが、落書きのような絵も世に受け入れられるようになるだけの余裕が出来たのか、それとも単純に精神の解明が進んだからなのか。

 高校の時、私は児童館で村上隆の存在を知った。その時私のマイブームはサイケ世界だったのだが、大体ネットから拾ってきたゲームの画像(LSDとか東脳とか)を血眼になって見つめつつ絵を描いていた覚えがある。児童館の人から「どこそこの美術館でいつ村上隆展がやるから見に行って来たら?サイケの勉強になるよ」と勧められて、私は祖母と一緒に六本木の森美術館に行ってきた。

 結論から言うととても楽しい世界を味わえたと思う。昔のアニメや漫画のような絵柄と、サイケな宇宙が調和していたから。面白おかしな世界は、私の世界を広げるには充分であり、事実、少しだけ広がっていた。インパクトも十二分にあったので、今でも私の中に息づいている。

 万人受けするわけではないが、それでいいのだと思う。仮に全ての人に受け入れられてしまったらそれはそれでつまらないのだ。アンチとファンはどちらもいて欲しい。それが私の願い。インパクトは(理由こそ様々だが)あっていい。絵画とは心の澱を吐露するものでもあるから。短い間で飽きられるより、長く愛される作品であって欲しい。

 分野こそ違うが、私は自分の世界を今でも構築し続けている。分かりやすいものではない(寧ろかなり分かりにくい)が、これは作品の中に沢山の伏線や謎を含んでいるから。文学だけではなく、音楽もモチーフにしているからか分かりにくいのも当然ではある(想像力高いとは言われたことがある)。沢山の謎は作品を構築する上で助けとなったが、同時に余りにもリンクの量が多いせいもありあまりファンが寄り付かないのだった。

 文学や絵の中に音楽は組み込まれてもいいと、私は考えている。驚く程にぶっ飛んだ考えなのだろうが、楽しい世界を作るには手段など問うていられない。自分の世界の深層を表現するにも、上澄みを掬い取るだけでも音楽というのは必要なものだし、欠けてはいけないからだ。

 

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