ウサギ小屋でもプラマイゼロ

 小さい頃に遊んだシルバニアファミリーのドールハウスは、私の心をときめかせるには十分だった。というのも、部屋数こそ少ないが理想的な家だったのだ。私の実家は狭くて古いので何かと不便が生じることもあり、夢を見られるほど綺麗な家というのはドールハウスか人様の家くらいだと思っていた。だからだろうか、昔は広い家に招かれるとはしゃぎ回ったものである。知らず知らずのうちに、広い家がいいと思い込んでいたからだろうか。大抵そうした家は金持ちで、家具も充実していて遊び道具も多かったように思う。一人用のマイルームでさえ広いケースがあったものの、私はそこまで羨ましいとは思わなかった(一応四畳半であるが、それで充分であるしそれ以上広くても不安になるだけ)。

 駅に行く途中の踏み切りの近くに、金持ちの家があるのだがこれがまたドールハウスのように見える。しかし、近くから見ると大きくてさぞかし広い家なのだろうと思いきや、遠くから見ると案外期待外れだということに気付かされる。これだったら田舎の祖母の家が広く思えるレベルだと思うのだ。狭い土地に、まるで畜舎のようにぎゅうぎゅうと押し込められるように並んでいる都会の家は、これが普通なのだと言わんばかりにひしめき合っている。それは私の家も例外ではなく、田舎の方が大きな家が多いことからも窺い知れる。小さい頃から都会に住んでいるせいか、綺麗な家に住むのは当たり前だと思い込んでいた。マンションを借りて、人並みに暮らすのが理想だと知らず知らずのうちに信じていたくらいに。

 実家の立地自体は全く悪い訳ではない(寧ろ、自転車でどこかに行って帰れる上、近所に一軒は店があることを考えると相当便利な部類だろう。少なくとも雨の日でも食べ物だけは手に入れられる)。綺麗でも周囲に何もなく、駅まで歩いて数十分という地域に住んでいる人から見れば、妬ましく映るだろうことは想像に難くない。だから、家が古くても文句は言えなくなった。

 新しいタワーマンションに住んでいても、立地が悪いことは十分にあり得るし逆もまた然りである。広くて新しい家に住むことだけが幸せという訳ではないし、狭い家に住んでいても幸せな人は沢山いるのだ(マンションだと何かと不便が生じる場合もない訳ではないようだ)。

 それでも、ドールハウスのような家には一度住んでみたい。例えどんなに狭かったとしても夢を見続けることが出来るなら。カスタマイズが出来るというのなら、そんな生き方もアリかもしれない。

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