蟠りは未だに燻って

 何かにつけて言われるのが、「恵まれてる」「欲張りだね」という言葉。確かに、他の人に比べたら恵まれてはいるのかもしれない。しかし、私には持っていないものが沢山ある。欲しいものは尽きず、子どものようにどんどん増えていく。それでも興味関心のないものは欲しくないし、手に入れようとも思わない。

 私には憧れの人がいた。今年の四月下旬に別れた元カレ(兼ライバル)である。けれど、その憧れは過去のもので、今はもう消えてしまった。彼は誰かに理解してもらいたくて一生懸命創作(二次創作)に打ち込んでいた。その姿勢は素晴らしいもので、私も真似してみよう、あんな風になりたいと思っていたのだ。しかし、私では元カレにありとあらゆる面で肩を並べることは出来ず、真の意味で対等になることは遂に出来なかった。彼からすれば、私の方が持っているものが多かったというから驚きだ。

 私から見れば、私が持っていないものばかり彼は持っていて何もかもを攫っていったように思える。ファンは勿論のこと、アンチ(その作品がないと叩けないという意味ではある意味ファンみたいなものだから)も沢山いたので、私からすれば羨ましいどころか妬ましい限りだった。だから私は彼を越えようと思い立った。それなのに。

 思考も趣味もまるで違う私達がいつか別れるのは明白だった(安心できないというところを含める)。お互いに理解出来る訳もなく、あっさり喧嘩別れをした(この時漸くか、とホッとしたものだが)。やはり、側にいるのは安心出来る人物に限られるな、と改めて感じたものだ(逆を言えば、二年くらい付き合っても安心出来ない時は出来ないし、数ヶ月だけでも安心出来る時はある)。

 元カレ曰く、私は「勝ち組」らしいが私にとってそれは(当たり前ではないが)当たり前のことで、寧ろ中には「要らないもの」まであったことには怒りを通り越して呆れた。中には、「そんなこと今更言って何になるんだ」としか思えないようなものさえあったし、育ちの溝は埋められないことを実感した。勿論私にも非はあるが、彼が私の負の部分に目を向けていなかったことも大きいだろう。

 結局、田舎育ちと都会育ちを無理やり恋愛関係に発展させるとこういったことが起こってしまう。それに、私は熱しやすく冷めやすい性格でもあるのでこうした理想的な関係は長くは続かないとも考えていた。

 それでも尚、彼を超える為に私は物書きに熱意を注ぎ続けている。「もう超えている」と言われても、止めることはない。いつか商業デビューするその時まで。

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