安全神話をぶち破れ‼︎

 世の中、絶対に安全なものなど存在しない。インターネットはその最たる例だが、日常の中にも安全なものはないに等しい。家の中なら包丁やボールペン、公園の遊具(モノによっては事故が起きている)、交通機関。周りを見渡せばどんな時でも安全安心というものはないことに気づく筈だ。出来るだけ安全な手段を選んでも、回避できない場合はあるのだから。

 一つ昔の話をしようと思う。あれはまだ私が小学校の時だった。私の家の近くの公園には箱ブランコがあったのだが、今は撤去されてしまっている。というのも、私がこの公園に入り浸る前から数件事故が起きていたからである(小さい子が屋根まで吹っ飛ばされた例もあるようだが、真相は不明)。確かに楽しくはあったが、事故が起こりやすかった遊具であったことは否めない。実際、私が見た限りだと安全性が高く、デザインにも優れた遊具がやたら多い気がする。しかし、恐らくはこれらでも事故は起こり得る筈だ(親が目を離さなければいい話ではある)。

 安定思考というのは人間として危険な思考だと思う。何故なら万物は流転するからである(諸行無常ともいう)。民間の会社は(今はコロナ禍でもあるから)いつ倒産してもおかしくないし、もっと身近なところではモノというのはどんどん風化していく。それに気づかずに「安全神話」にしがみつくのは愚の骨頂としかいいようがない。形式ばったものに縋りつく人間ほど、実は頭が空っぽというケースもあるし、この世が全て幻だと気付いてしまえる人の方が結果的に苦難に立ち向かう力は強いのかもしれない。与えられたモノを受容するだけでは、この世はやがて衰退していくだろう。

 だが、世の中にはこれでもかというくらい「安全神話」に縋っている人がごまんといる。彼らなりの正義を貫いているのだろうが、私には理解できない考え方だった。これが身近な人の中にいると、ものすごく疲れるし呆れる。

 結局のところ、家庭でさえ今は必ずしも安心できるところではないのだ。自分が安心できる居場所は自分で見つけるしかないのだから。それが簡単に見つかれば苦労はしないのだが。

 ありきたりな法則や目の前のものを鵜呑みにする人に「安全神話」は麻薬のように効く。周りに目を向けて、自分の頭で考えて対処できる人こそが今の世の中には必要とされているのではないだろうか。私自身、身を守りつつ隙を伺ってばかりいるが、頃合いを見計らうというのは何においても大事なことだと考えている。

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