噛み合わなさをなんとかしたい

 世の中の大多数は、歯車が噛み合った状態であると私は思う。何事もなく生まれ、何事もなく育ち、何事もなく会社勤めをする王道人生が世の中の普通とされているからだ。しかし、わたしは悲しいことに「自由」過ぎた。正確には自分の世界がいつも頭の中に顕現しているせいで、自分の世界が示す道に従っているだけなのだが(だからこれは全くの自由ではない)これは外からは一切分からないもので、側から見ると「変な人」という扱いをされる。特に、親が全員変人という訳ではない人間から一人だけ変人が生まれた肩身の狭さは世間一般の人々の比ではない。思考がマトモな人間だったら良かったというのはなく、マトモじゃないから痴れ者という訳でもない。大多数の人間の中では(関心を持てないということもあるが)生きにくい、環境が悪過ぎるというだけのことだ。

 今の今まで生きてきて、真に求める居場所というものは無いに等しかった。どちらにも染まれないからこその居場所というものは必要で、それが中々見つかるわけでもない。止まり木のようにコロコロ変えていく必要性を感じないほどに、安らげる居場所が欲しい。というのが切実な願い。

 人に合わせるのは恐ろしく苦手。だからといって日本では人に合わせなければいけないという当然レベルの暗黙のルールがある。軽い風邪ならば気兼ねして働く、という風に。女は特に大変で、生理で頭がぽやーっと(いつもの2割増)するのに出勤を命じられることがある。そういう意味では、マジで前時代に戻りたい(江戸時代、生理中の女性は隔離小屋に閉じ込められた)。嫌いな奴らとも顔を合わせずに済むのは楽だ。

 才能の片鱗を見抜くことは容易ではなく、パトロンやスポンサーがいなければ商売自体が成り立たない。私の場合は、生まれてから十八年後に漸くその資質を見出されたと感じるからだ。フィクションやらテレビに登場する天才は、概ね小さい頃からその片鱗を見せている(こればかりは親に恵まれるというのも条件の一つだが)。それに、一頭地を抜けるような才能がなければ天才にはなれないとも思う。ついでに競争(一番苦手)に勝たなければ、真の天才とは看做されないのも痛い。私に才能はあるのかと今も尚、悩み続けている。

 ここまでつらつら述べた割に、私は動きが遅く(興味のあるものに対しては早くなる)スピードと合理性が求められるこの国で生きることには向いていない。しかも、家庭では居場所がほぼないのでまた家出をしたくなる始末。誰でもいいから私の思いを分かち合って欲しい。

 

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