安易な毒
植物には毒を持つものが沢山あるが、その一方で美しい花を咲かせるものもある。見て分かるような棘がない植物は特にそうで、ものによっては全草に毒があるというパターンもなくはない。しかし、我々人類はこの毒を時には薬として、時には毒を取り除き食用として、はたまた武器として使用してきた。こうなると、何故この植物には毒があるのかと疑問が生じる。大体にして植物の毒というものは動物に対する防衛本能が働いた結果だから。しかし、我々人類は何故だか毒を薬として調合するという凄まじい能力を持っている。他にも人間には毒性を示さず、他の動物にだけ毒性を示すものを平然と食べている人間。こうなると安易に毒を持つのは却って危険なのではないだろうか。
毒を持つ植物には、身近なところでも鈴蘭や彼岸花といったメジャーどころや、マイナーなものではウマノスズクサというのがある。我々が食べるであろう芋類にも毒というものは潜んでいる。じゃがいもの毒はよく知られているが、キャッサバ(タピオカの原材料である芋。でんぷん糊にも使われている)にも毒は存在する(毒性が少ない種類もあるが)。いずれにせよ取り除かれるのでやはり意味はないが。彼岸花の例からして、小さな動物に食い荒らされるのを防ぐというのが本来の目的だったのだろう。
私は、幼き日に植物図鑑で毒草を見てからというもの(部位にかかわらず)毒だと判明している限りは妄りに触らなくなった(かぶれるのが嫌だから)し、それは今でも変わらない。美しい花に近づきたいし、自分だけのモノにしたいが毒のせいか安易には近づけないのはもどかしい。私は「触らぬ神に祟り無し」を旨とする臆病者だから。
こうして見ると、人類は恐ろしく逸脱した進化のせいかそこら辺の動物よりもとんでもないことになっている気がする。特別身を守る手段は持っていないが、新たなモノを一から作り出すという能力は時に、動植物に対して脅威となる。それこそ世界を滅ぼしてしまうくらいに。しかし、そんな向かうところ敵無しな人類でも抗えない毒というのは確かに存在するようである。
厳密には植物ではないのだが毒キノコの毒や、ドクウツギの毒などはどうやっても抗うことができない。とんでもない猛毒だが、(例外あり)それ以外に目立った特徴はないに等しい。ナンバンキセルの方が毒草っぽいビジュアルだから却って微妙な安心感が湧いてくる。だからだろうか、毒草に対する危険意識が低かった(それだけ自由ともいえた)時代には死亡事故が後を絶たなかったという。
もしかしたら、毒というのはある意味神様からの贈り物なのだろうか。生物多様性が保たれるようにという。私はそう考えてしまった。
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