植物図鑑を買ってもらった訳

 小さい頃から図鑑を見るのは好きだったが、とあることがきっかけで私の部屋には植物図鑑が置いてある。それこそ、思い出せないくらい遠い昔のことで、はっきり分かっているのは誕生日でもなんでもない日に些細なことで買ってもらったということだった。

 昔から私の家の庭には雑草としてだが紫の小さな花が一人でに生えてくる。色が優しく綺麗なそれは、私以外に気に留める人はおらず、大体夏になると草むしりで無くなってしまうのが常だった。菜の花にも似た姿であるが、祖母はもっぱら「ハナダイコン」と呼んでいたような記憶がある。しかしそれが正式名称なのかは分からず、暫くした後に私は駄々をこねて母に植物図鑑を買ってもらった。

 小さな花の正式名称が何なのかはすぐにわかった。というのも、序盤(花壇の花)のページに載っていたからだ。ハナダイコンは別名で、他にもムラサキハナナやらショカツサイ(諸葛菜の意)というのがあった。正式名称はオオアラセイトウというらしいが、別名があり過ぎて混乱している。しかし、幼い私にはそんなことどうでも良かったのだ。その先のページを見たいという思いが強すぎて、気づけば何も知らずにページをパラパラとめくっていた。見慣れたたんぽぽやら、毒があり決して触ってはいけないような危険な植物に、山にしかないような珍しい花に、果ては野菜や果物、キノコ類まで。幼い私の好奇心を満たすには充分だった。

 時が経つにつれて、植物図鑑は絵の資料にもなっていった。元々絵を描くのは好きだが、今も昔もキャラクターイラストが中心である。背景を描く時にこの図鑑は重宝するのだ。そこまで上手くは描けないが、それでも特徴を捉えて描くのは得意だと自負している。

 今はインターネットで検索エンジンをかければ、何でも調べられてしまうのが手軽な分少し寂しいように感じる。寂しいというよりかは無粋というか。ワクワクが止まらないという感情が少しずつ失われつつあるように思うのだ。技術は日進月歩で発達している分、風情というスパイスが失われつつあるのは悲しいことだと思う。

 その一方で、検索エンジンをかければ世界中のどんな動植物を手軽に調べられるようになったし、便利な世の中にはなった。絶滅動物の情報も家に居ながらにして見られるようになったので、そういう意味では便利になって良かったと感じている。

 とまあ、つらつら書いてきたが一番ワクワクが感じられる方法はやはり現地に赴くことだろう。その方が心に残りやすいからだ。

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