オオカミがいる理由

 毎年夏になると、私の家には蚊や蟻が多く発生する。それだけ古く隙間だらけの家であるという証拠でもあるが、私は痒いのも鬱陶しいのも嫌いだ。しかし、「これだけならまだ大したことない」と言ってのける人がいるのもまた事実。世の中にはもっと凄まじい生き物が我が物顔でその辺を闊歩しているのだから。日本では猪や熊が代表的だろうが、海外では(日本には絶滅という理由があって今はいない)オオカミが代表的だ。何故邪魔な虫がいるのか。オオカミに擬えてみれば案外簡単に答えが出るのだと私は思う。

 西洋の童話では昔からオオカミを悪として扱ってきた。理由は明白で、家畜を襲い時には人間にも襲いかかったからだ。西洋では古くから肉を食べる文化がある他、家畜の牝からとれたミルクを飲用に回したり加工して食物とする習慣があるから、要である家畜が襲われて死ぬのは生産者にとっても消費者にとっても困るのである。しかし、農家にとってはそれは寧ろ苦にならず、鹿やらなんやらといった害獣を排除してくれる益獣として扱っていた(日本でもそういった側面があったからか、神様として崇められていた。このことからニホンオオカミは大口の真神と呼ばれていた)。それでも童話の世界における彼らはずっと悪者のまま。オオカミ男は恐怖の象徴として、人々の心に根付いている。

 オオカミが登場する代表的な童話としては赤ずきんがあるが、このオオカミは一体何を意味するのか心理学の分野ではちょっとした話題になっていた。子どもを言葉巧みに攫って食べる悪い男だとか、変質者だとか、いずれにせよ悪いイメージばかり。実際あんないやらしいことをするのだから仕方ない。最近ではギャグマンガ的な悪役のイメージもない訳ではないし、どうぶつの森では(漫画版のみの話だが)友達思いなオオカミも登場した。オオカミのイメージも徐々に変わっているのだろうか。それとも、部分的にだがグローバル化しているのだろうか。私には分からない。

 動物園にもいるにはいるが、彼らは元々のイメージがあまり良くないせいか日陰者である。自然界ではある意味ハイエナと同じくらい大事な存在であるにもかかわらず、だ。やはり死肉を喰らうこともあるその食性が嫌われる要因だろうか。同じイヌ科でもその辺の犬は愛されるのに(ある意味理由はブラックだが)。

 動物とはただそこにいるだけで、本来なら住処を追われる必要性はないのに人間は自分たちが住みよくする為に彼らを犠牲にする。オランウータンだけではない、悪者扱いされたオオカミにだって生きる権利はあるのだ。

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