理解できない話

 私は分かりやすい作品というのが嫌いだ。というのも、私はちょっとしたことですぐに泣くほど感受性が強く、キャラクターに感情移入してしまうから。だからだろうか、私は自然と考察だけに目が行く作品を求めるようになったのだ。昔(まだ子どもと呼べた年齢の時)は、王道も好きだったが、今は全くといっていいレベルで触れようとは思わなくなった。キャラが傷つくのを見るのは辛いから。

 思えば私自身小さい頃からいつも泣いてばかりいた。迷子になった時、欲しいものが買ってもらえない時。見たいアニメが見られない時。それに加えて最近は、嬉し泣きもするようになり泣くパターンは増えたと思う。

 私が(他人からの)考察を求めるようになった理由の一つもここにある。感情移入して欲しくないからだ。だから敢えて謎だらけにしたのだが、世の中そう上手くはいかない。寧ろ他人に媚びて分かりやすくした方が早く成功するという有様で、そんな風潮を私は潔癖に嫌っている。けれど、そんな作品が作れる人を私は羨ましいとも思っていた。私の脳は人とあまりに違いすぎて、現実(もっとも物心付いた時から自分の世界で生きてきたようなものだが)には居場所がないのだ。自然と人は離れていく(私にも理由はちゃんとある)し、普通という概念を強いる口うるさい家族がいる。放っておいても、説教されるからなんらかの形で今すぐにでも離れたいレベルだった。だから、私は現実ではなくネットに居場所を求めるようになった。いや、一生をネットの中で、それこそ.hackみたいに過ごしていたい。お絵かきが出来ないだろうことは承知の上で、このクソみたいなリアルから完全に逃げてみたいのだ。

 けれど、それは出来ないし出来たとしても同じことの繰り返しになるだろうことは目に見えている。せめて自分の作品を理解してもらえれば、とも思うが。この辺は抽象画を専門に描いている画家に似ている。

 これ以上泣かない為にも、私は作品に何かを盛り込んで隠し続けるだろう。誰一人として泣かせようとは思わない。分からないことだらけでヒントもない作品を生み出して(答えも教えるつもりはない)。答えは全て私だけが知っているから。

 しかし、最近思うのは何故謎を楽しむ人がどんどん減ってきているのか。「謎があるから世の中楽しい」とドラクエのテリーも言っているのに。分かりやすく、ポップな作品が受け入れられているのと何か関係があるのだろうか。私としては寂しい気がしてならない。

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