ベストアンサー?
私は絵を描くのが大好きで、二歳の頃から描いてきた。ポケモンやらドラクエのモンスター、魔法少女、かわいい動物キャラなど。今でも描いているものがある。絵を描くのは楽しいから、自分で何かを作らなければ気が済まないから。しかし、楽しさばかりを優先してきたせいか、はたまた生来の不器用さのせいか、私は一向に絵が上手くならなかった(一体何のキャラクターを描いているのか程度は分かるようになっている)。だから絵を上手く描いている人が羨ましいし、妬ましいのだ。
絵というのは言葉で表現することがないので、文芸よりも自由な領域にあると思う。文章では固定化されるものでも、抽象的にかつ曖昧に描けてしまうのだ。話すことが苦手な私にとって、絵で世界を作れるというのは救いの一つだった。そこに私はおらずとも、楽しい世界を描いているだけで私は幸せだったから。言葉による対話が諸々の理由で苦手な私にとって、非常にやりやすい方法ではあるから。
自分好みの世界を作るには、素材や方法にもこだわらねばならない。クレヨンに水彩絵の具、カラー筆ペン。時には版画やらも使わなければ私の世界は作れないのだ。方法にこだわらずともいいではないか、という声も上がるだろうが実験目的もあるので方法に拘った方がいい。しかしこの実験、やり過ぎると訳がわからなくなることがある。何事もやり過ぎは良くないが、ほどほどの向こうにあるものを私は見てみたいのだ。あくまでも自分基準であるから、どこまでがやり過ぎかは分からないのだが。少なくとも、戻って来られなくなってしまうのがやり過ぎだと信じている。
絵というのは不思議なもので、自分の感情や思考が出てくる。楽しく描いたなら自然と楽しさが滲み出るし、悲しい気持ちで描いたら悲しくなるからだ。苦しみながら描くものではない。例え楽しく描いていても、分からないものは分からないのだが。
絵が下手な私が通知表で5を貰ったのは、高校の時だけだった。それも、渾身の心象風景を描いたことがきっかけで貰えたのだが、私はこの時物凄く自信がなかった。というのも、先生に見せていた子が「中学生レベル」と言われていたからだ。加えて絵はあまり上手くないのだから、私は「小学生レベル」と言われてもおかしくないだろうと思った。おずおずと作品を見せると、先生は、
「大学生レベルだよ、これは。面白い」と言った。私にはわからなかったが、嬉しいことではあった。漸く私の絵が認められた、と。
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